北島/あかみのプライベートなブログです。

さて、STRIKE HOLE様から反論・議論のためのエントリをいただきました。ありがとうございます。

織姫様「同人文化の多様性と、地方の独自な習慣の是非について」についての自身の見解
http://blog.livedoor.jp/analstrike/archives/51600264.html

……前回はトラックバックがうまく通っていなかったみたいで。ごめんなさい、です。

で、こちらへの返信をメインに。
今回はかなり議論が散逸します。正直自分自身もきちっと練り切れていない部分があり、細かくケースバイケースで見ていくと「通常は常識視されている原理原則」の盲目的な適用が最適解ではないケースもそれなりに出会っているので、クリアカットな議論にはできません。

というわけで議論の口調にギアチェンジ。

>また、地方ルールを貫いた所で、サークルは他の地域の即売会にも遠征参加する。
>そこで他の地域のルールに優位性を見い出せば、地元のイベントを劣るものと捉え、地元のイベントは魅力を失う。地元のイベントからのサークル流出にも繋がる。

もちろん、その「地方ルールが」地方の地元の人にとって魅力のないルールだとしたら、それはおそらくルールの最適化が不十分だ、ということ。十分に最適化されていないルール・スタイルは、その分「参加者の満足度の低下」に繋がるのは自明:最適な状態よりは良くないのだから。問題は、その「最適化されていない部分」がどのくらい定量的に問題か、そして致命的か、ということに繋がるだろう。
物理屋的な発想を持ち込むと、怖いケースとして「局所最適への最適化」がある。「イベントのスタイルをちょっと揺らす程度」だけの考慮から見れば最適解のように見えるが、根本的なところで間違っていて全体として最適解では全くないような話。コミックネットワークでも同様の事態が起きていたのかも……しれない。

同種の問題として、サンクリのコスプレ導入問題について私が「大きな憂慮を持たない」のも、サンクリのコスプレ導入は「満足度低下に繋がるかもしれないが、トータルでそれが致命的な領域ではないだろう」と予測・評価しているだけの話である。正直ここは「やってみないと分からない」。

大まかに見たらこんなところだろう。
ただ、コミックネットワーク方面は「一度現地を見に行かねば語れないのでは?」という疑念もあり、あまりちゃんと語りまくる気にはなれない。夢彗星が「東京で失敗したこと」くらいは東京側の情報で議論してもよいような気もするが、「九州における夢彗星の現状」や「コミックネットワークの現状」は東京の人間は「まともに知らない」っぽいので……。

少なくとも、九州イベントについては「こっちが知らないこと」が多すぎる。実は11月にProject Arbalestの皆様からそのへんの現場をお伺いする機会があって、「現場を見ないで語る」ことの怖さを思い知らされた。東京の論理が極端に強い大9州東方祭ですら「東京ではあり得ない話」がいくつか聞こえてきているし……

別のベクトルから同じ議論を繰り返してみる。いったん同人の「常識」から離れて、どんなスタイルが最適なのかを一から考え直すという想定。
まず最初に邪魔になる発想(定着したスタイル)が、参加者を「参加者」と呼び、「お客様」として扱わない思想だろう。確かにイベントを作る「参加者」として一般参加者は重要な構成要素だし、参加者自身として「お客様気分で」参加するのはNG。みんながお客様気分で参加したら、コミケなんて早晩吹っ飛ぶだろう。しかし、だからといってスタッフはサークル参加者・一般参加者へのホスピタリティ、もてなしの心を忘れて良いのだろうか?サークルは一般へのもてなしの心を忘れて良いのか?
「参加者と呼ぶ」ことは、同人世界をその他の世界と明白に区別するキーワードとして機能している。このキーワード自体を云々するつもりはない:「区別するキーワード」としてとても良いし、良い意味でのアマチュアイズムが全開になっている。しかし、だからといってスタッフやサークル側が「一般はお客様ではないのだから邪険にして良い」という発想は間違っている。(注:とあるイベントでこの手の思想が実在した。論外と評価。)

一つのケーススタディとして、九州地方のイベントの特異性を考える。3週間前に案内書が送られては困る、という人が多いとする。しかし、宅急便搬入を試みる人や、遠方からの遠征組にとっては3週間前くらいに案内書が届かないと困るのも事実。さぁどうするか?
tenjin.beは一つの面白い結論を出した:サークルチケットの存在しない同人即売会。Webベースで案内書をアップロード、サークルチケットをそもそも発送しなければ、郵便事故に悩まされることもない。3週間前から案内書がアップロードされていようが、サークル参加者にとって「サークルチケットをなくす」心配はしなくてよい。過去の即売会には珍しいパターンだが、実はtenjin.beについては十分に最適化されているので?と思う。
もちろん、この方法はコミケには最適化されていない。コミケで「サークルチケットを廃止します」やってみたら、現在は東館駐車場や西館正面に形成されている巨大待機列が、10時前にして館内の大手サークル前に形成されることになるのでは?wwww

カップリングを配慮した配置も、「真にそれが常に最適」とは限らない。マイナージャンルのオンリーや、sp数が2桁中盤に届かないような小規模オールジャンルイベントであれば、また別の方法論があり得そうな気もする。実際は「配置してみないと分からない」とか、「カップリング違いのサークルは険悪である」といった要素で結局カップリングを配慮した配置になるような気もしなくはないが。

なんだかんだで、同人イベントの多様性を語るには現地を見た経験が必要なのかもしれない。その意味で、花祭準備も含めて全国のイベントを回った経験は本当にためになった。オールジャンルが新潟(ガタケ)・大阪(シティ)・鹿児島(drink bar)の3回、東方オンリーが名古屋のまんがまつり1,花帰葬が大阪1回と名古屋1回。同じ「名古屋イベント」でもまんがまつり1と花帰葬(なごはな!)は全然違うイベントだったし、「なぜそうなったか」もだいたい見えてきた。

前回のエントリは「地方の習慣を別のエリアに直接無考慮で持ち込むことはまずい」という趣旨をしゃべっているが、実はマイナージャンルの場合「あえて別地方の習慣を持ち込む」ほうが良いこともあり得る。少なくとも、現在花帰葬でオンリーやろうとするなら現地の習慣よりは関西の習慣を持ち込んだほうが良いだろうなとも思えるが、このへん「なぜそうなのか」は花祭主催としては口をつぐむべき領域だろうwww(苦笑
#花祭は東京、関西、九州、その他全国各地の「良いとこ取り」なコンセプト:花帰葬級のマイナージャンル、しかも過疎地開催だからこそ可能なアプローチ。

正直、この手の話は「総体的に見て」クリアカットな議論ができそうには思えない。多様性が是であり、かつ「全国のルール均一化が必ずしも最善ではない」ことだけは間違いないのだが……。

ということで、ぐだぐだ議論でした。大局的な議論はいいんですが、同人で細かい話を議論しようとすると綺麗にならないですね……。

冬コミも終わり、新春一発目のエントリとなります。
みなさまにおかれましては、新春のお慶びを申し上げるとともに今年の同人活動の無事をお祈りさせていただきます。

……本来喪中ですけど、そんなの気にしないことにしておいて。

さて、新春一発目のエントリはいつもネタにしているSTRIKE HOLEさんの記事から、あちらの新春記事「年頭の辞~地方ルールの是非を問う~」 http://blog.livedoor.jp/analstrike/archives/51598922.html への反論。

同人即売会の根底たる「同人文化」は、なによりも多様性を尊ぶ文化。そもそも文化自体がそういうもの、多様性があって然るべきものでああるが、同人文化はそもそも商業文化へのオルタナティブとして成長してきた以上強い多様性はあって当然、むしろ多様性の大きさそのものが同人文化の本質的な価値の重要な要素だろう。ここで、本質的な価値とは、どんな良い作品が生まれているか、生まれていないか、そんな些末なパラメータには左右されずに文化そのものが保有している価値を指す。

同人文化はさまざまな形をとって「現実に」出現してくるが、典型的な手法の一つが「同人即売会」。コミックマーケットを頂点として、毎週のように全国各地で多数のイベントが開催されている。……コミケを頂点だと言うと怒る人が多いが、現実的にコミケが規模でも多様性の意味でも存在感の意味でも最大のイベントだということは誰が否定できようか?といってもここは本題ではない。本題はコミケを頂点とした、ピラミッドの「下の方」の話。

当然、イベントにも多様性はあって当たり前。同じ1000スペース規模のイベントでも、地方のオールジャンルと東京の巨大規模オンリー、男性向けオールジャンルと、当然イベントの色は違う。同じ100スペースのイベントでも、鹿児島のイベントと山形のイベントでは全然違う。
イベントには多様性があって当然。そして、当然良いイベントと悪いイベントがある。普通に考えたら悪いイベントは無くなって欲しい。そりゃ当たり前の話で、本当に悪いイベントであれば参加者は「楽しめない」という結果が出てしまう。しかし、「より良いイベント」「より悪いイベント」程度の話であれば、必ずしも「より悪いイベント」には退場してもらう必要はない。むしろその程度で退場を強要していては、多様性が損なわれる。それこそ同人文化の本質的な価値を損なう重大な問題ではないか?
#もちろん「より良いイベントを目指す」強い意志は必須。多様性を維持しつつ全体の価値を自主的に高めるには、参加者各自が自主的に価値向上へ向けた取り組みに励むしかない。

「地方ルールの是非を~」の議論では、夢彗星の「やらかした」一連の事件を例に取って原因を南九州地区の即売会が持つ「個性」に求めている。より厳密に言えば、南九州地区のイベントの個性を東京に持ち込んだことが原因であると。
その議論自体はそう間違ってはいない。実際に南九州のイベントが普遍的にこういう個性を持っているかと言われれば、現場を知っている(向こうのイベントにサークル参加してきました)身としては必ずしもYesとは言えないが(むしろNoではないか?)、それはともかく「東京イベントの個性に最適化されていない思想を外部から持ち込んだ」ことはほぼ間違いない。
しかし、そこから導き出されるべき論点は「地方のルールが存在すること」ではないはずだ。地方のルールが存在すること自体、さらにいえば地方の個性が存在すること自体は、「その地方の人たちによる評価を高める」という意味では実は十分に最適化されているのかもしれない。もう一段本質的には、「地方のルールを東京に(然るべき改変を加えずに)直接持ち込んだこと」のほうがよほど問題だろう。

うちもdrink barに東京から申し込みをかけたときは大変だった。サークル申込書を九州から郵送で取り寄せて、こちらから申込書を郵送。送り先が鹿児島ともなれば東京エリアとは違って、送付にも+1日はかかる。もちろんサークル案内が届いたのもぎりぎりのタイミング。九州イベントでは標準的にサークル案内が届くのが遅いことくらい最初から分かっていたのでこちらは気にしなかったが、そのへんの話を知り合いの主催にしたところ半ば凍り付いてましたよ?
でも、考えてみよう。現地の人たちに宅急便搬入する人なんかほとんどいない。ラミカ200枚搬入するのにどこに宅急便の必要が?コピー本50冊くらいカートがあれば十分手持ち搬入できる。ぶっちゃけこれで、地元の人(=参加者の大半)には何の問題もない。

もう一段考えてみよう。東京のイベントでは、普通に考えて3週間くらい前にはサークル宛の案内書が送付されるだろう。
……そんなに早い「必要が」どこにあるか?いつもの会場でのいつものイベント、いつものスタイル。参加しているのもいつもの人達、だいたい全部「いつもの通り」。案内書がなくても、概要は「地元の人には」分かる。地元に友達がいない同人作家?……普通はそんなことはない。だって参加者は(ステレオタイプに言ってしまえば)みんな地元の高校生。分からないことがあったら先輩に聞け。
かくして、「サークルチケットをなくさないように」サークル宛案内書なんて1週間前発送で十分。

東京にこんな習慣持ち込んだら単なる悪習だ。しかし、逆に鹿児島に東京の習慣(=3週間前発送)を持ち込んだら、これもこれで悪習になりそうだ。それぞれの地方のルールは、普遍的に「どちらが良く、どちらが悪習だ」と言えるものでもない。

地方ルールは、現地の習慣・状況に最適化された「やり方」の束。現地でのやり方がうまく最適化されていれば、それに合わせてしまうのが一番。だからこそ、「他のエリアで即売会を開催するには」そのエリアの習慣を知る必要があるわけだ。夢彗星は、その段階で間違いなく大きな失敗をやらかした。

どうすればこの状況を改善できるだろうか?

即売会どうしの協力態勢。

まずは、これに尽きるだろう。地方イベンターが東京でイベントをやりたかったら、東京のイベンターに話を聞け。逆に東京のイベンターが地方でイベントをやりたかったら、現地事情を知っている人に話を聞きまくれ。現地のことは現地の人が一番分かっている。ジャンルのことはジャンルの人が一番分かっている。そして、質問が飛んできたらできるだけ対応するし、ちゃんと状況を見える化しよう。第二第三の夢彗星を生まないために他のイベントのために協力すれば、その果実は必ずや自分にも返ってくるはずだ。「あのイベントは失敗しそうだから、協力は拒否」というのは何よりも愚かだ。放っておけば、もしくは協力を拒否すれば失敗する可能性が高まるし、失敗したイベントに向かって舌を出して「ざまあみろ」と言ったからといって、失敗「させた」ことが正当化されるわけではないし、ましてや失敗が正当化されるわけでもない。
#夢彗星にも、東京でのアドバイザーはいなかったのだろうか。……いなかったはずはない、と思うんだけどなぁ……?

そういう意味で。
実は、Project Arbalestのtbe.ccにも一抹の不安はある。九州内あちこちでイベントを開催するというコンセプトのようだが……福岡はtenjin.beの経験もあるし、現地ルールは分かってるだろうと思える。佐世保も昔の「あるばれすと」時代を考えれば、ルールへの理解をゼロからスタートするよりはよほど知識量がある。しかし、その次のイベントはどうなるのだろうか?特に東九州はスタジオYOUの覇権エリア。NPOということで法人格を持っていたとしても、現地の見える化されていないルールを知るには壁がありそうにしか思えない。
もっとも、Project Arbalestにはその壁を跳ね返せるだけの力があることも間違いない。Project Arbalestがその壁をぶち破ったとき、彼らは「福岡(と佐世保)のイベンター」の壁を越えて、九州全域でイベントをコンサルティングできるとんでもない頭脳集団と化すだろう。そして、外部から九州でのイベント開催のために乗り込んでくる主催たちにも力を提供できるようになるはずだ。
今度の東方久遠境は、そんな力を持っているはずの「福岡のイベンター」が久留米・大牟田のイベンターと組むことで凄まじい未来への扉をこじあける、そんなイベントになるような気がしてならない。うちだって花祭なければ久留米行ってるかも?
#同人では福岡中心部(博多・天神)と久留米・大牟田は別の地域圏、つまり別のローカルルールが存在している。で、久遠境のコアスタッフは久留米(・大牟田)側の人たち。……このこと一つ見ても、同人のローカルルールは「一筋縄ではいかない」くらい細かい話なのが分かるだろう。

地方のルールを潰すことではなく、見える化することで、より高い地平を目指す。そのことさえ気をつけていれば、地域外からイベンターがやってくることは多様性を高めることに繋がるわけで、決して悪いことばかりではない。そのためには、地元で「イベンターを受け入れる」用意すら必要なのだ。それができていれば、そしてイベンターを支援する仕組みを作りだしさえしていれば、そこには素晴らしい未来が見えるだろう。そう、いろいろな多様性を持つ地方イベントたちが活躍する未来。私としては、そういう「多様性を高められる」未来が到来することを待ち望む立場に回りたい。

OKWaveで最近話題のトピックから。

マクロを組んで作業するのは実力ではないですか?

私の職業は一般事務(派遣)ですが少しVBAがわかるのでルーチン化できるものはマクロを組んでいます。
そうすることによってエクセルで1時間かかる作業が1分で終わることがあります。

なので職場では「仕事が早い、仕事ができる」と評価されることがありますが先日先輩に怒られました。

内容は
・VBAを使うのはずるい
・それは実力ではない
・仕事が早いというのは同じ環境でどれだけ間違いがなく効率よく作業ができるかだ。
・マクロを組むのはズルとしているのを同じ
と。

確かに手作業で行なえば周りの人と同じくらいの速さなので周りと同じ環境であれば(マクロを組まなければ)仕事が早いとは言えないかもしれません。

しかし業務をどう効率よくして作業をするかを考え実践するのも仕事のうちだと思うのですが私の考えは間違ってますか?
入力ミスもチェックするコードを書いたので、ミスはありません。

「マクロを組んだ方が仕事が早くなるがそれが仕事ができる人には繋がらない」のでしょうか?

職場にはマクロを組めるのは私しかいません。
仕事が早く終わったからって遊んでるわけではないし時間が余ればさらに効率化できないかを考えたりしています。

IT方面で仕事している職業人として、とても気になるトピックです。

VBAを使うからずるい、実力ではない、といったところは当然「大いなる誤り」でしょう。VBAを「使える」ところまで含めて実力ですし、マクロを組むのも「マクロを組むことができる」という同じ環境を与えられているからこその評価です。
彼/彼女一人がExcelを与えられている環境ならともかく、Excelというポテンシャルの高い環境をどう生かし切れるか、生かし切っているかという点では、VBAを使って仕事をするのは能力でこそあれ、ズルでは決してありません。

一方、仕事でVBAを使うことには山ほどの懸念があります。以下その一部を例示してみます。

  • 果たして次の世代へ引き継げるのか?
  • VBAの環境が失われるときに、果たして次の環境へ移植できるのか?
  • 実際、MacOSX向けのOffice2008ではVBAが放棄されるという事態が発生しました。
  • 業務データに「ミスがない」ことが証明できるのか?
  • VBAスキルは「そこら中に転がっている」ものではないですし、たとえスキルのある人が相手であっても「ある人が書いたアプリケーションを他の人に引き継ぐ」のは大変な作業です。その工数が必要なこと、作業量が必要なことまでは、なかなか「経営レベルの人は」理解できないのが現実です。
    VBAのスキルを持っているといえども、VBAのコードを「他の言語に」引き継ぐのはもっと大変なことです。いざそれが必要になったとき、可能なのでしょうか?もちろん「VBAの存在しない時代に戻る」という選択肢もありますが、たとえばこんな懸念があります。

    • 一部の業務ロジックがVBAにしか残されていない状態になる
    • VBAを用いて効率化された業務ペースを、別言語に切り替えることで一時的に落とす/VBAの使用を止めるために長期的に落とすことが許されるのかどうか
    • 移植時にエンバグ・意識されざるデバッグを起こしてしまい、移植前と出力結果が異なる懸念

    さらには、最も深刻な問題がVBAのバグ。
    VBAのスクリプトに「バグがない」「適切な入力を与えたら適切な出力が返る」ことは、誰が保証できるのでしょうか?

    経理データの処理にバグが埋もれていると、それが原因になって会計書類に誤りが発生する可能性があります。何よりも怖いのがこの話。入力チェックルーチンを入れたからバグがない、というレベルでは通用しません。「その入力チェックルーチンは誰によってチェックされているのか?」
    このあたりを恐れて、なんと「パソコンを使用停止した」会社すら実在するそうです。

    しかし、ではバグを恐れてPCを使わない、というのは本当に正しいのか。常識的に考えたら、バグがあるからPCを使わないなんて「ナンセンス」でしょう。そこまでシビアに言ったら、Excelにだってバグがないとは言えません……どころか「Excelは実はバグだらけ」です。統計方面の人は、Excelの統計関数は誰も信じていません(どころか「Excelは使うな」論文が次から次へと提出され、それ自体が学会誌で特集される始末)。

    現実的な選択肢としては、すべてを前向きに考えるべきでしょう。余った時間で仕事を進めるよりもちゃんとドキュメントを残し、プログラムが「どう書かれているか」を明確にして、あとで「厳しいレベルのチェックが必要になったときに」チェックに耐えられるようなものを作っておくのです。

    身分証明問題・つづき

    さて、前回は「どんな身分証明書を使えば、適切に年齢認証を行うことができるか」という問題を議論してみたのですが、結局「コストとリスクを天秤にかけて」ということで、あまり良い答えを導けませんでした。
    では答えがないのか、というとそれも違うようです。

    本質的に、この手の認証は「信用力の高い主体による認証を丸ごと信じる」形で行われています。公的機関による身分証明書を使った認証は、その最たるものです。ついでに、本人認証と年齢認証は違う、という議論からすれば、年齢認証専用の手段が「これまで存在しないから」難しい……という問いに対しては「新しくそういう手段を作れば良い」という返答が可能でしょう。
    というわけで、同人即売会専用の手段として、こんなアイデアがあり得ます。

    「同人即売会にのみ使える年齢認証システムとして、年齢認証カードを発行する」

    つまり、何らかの「信頼を寄せられる主体」が年齢認証を代行・年齢認証カードを発行し、あとはイベントで然るべき本を買うときor然るべきゾーンに入るときに年齢認証カードを見せれば「本人が18歳以上である」ことだけは(信頼を寄せられている発行主体の認証に頼ることで)認証される、という仕組みです。
    おそらくカードには顔写真が貼付されることでしょう。悪用に備えて通し番号も発行されるでしょう。そうすることで、悪用や偽造を回避する仕組みとなり得ます。一方、本名や住所は記載「されない」でしょう。認証する項目は年齢だけなので、本名や住所を記載するのは逆に筋が悪いです。カード偽造への対応策として暗号化してICカードのチップに埋め込んでおくという手もありますが、いい値段するんだよな……現実的なのはせいぜいシリアルナンバーを登録したRFID埋め込みくらいで、シリアルナンバーと本名・住所等の紐付けはサーバ側?

    #同人即売会の多く&同人方面の買い手の多くから一般的に信頼を受けるような主体が現時点では存在しない、という問題はありますが……この問題自体も「肯定的に(=組織が生まれる方向で)解決されるべき」問題と考えています。アイデアの原点は「同人版MIAU」あたりのキーワードからふくらませていくのがいいのかな?

    同人誌即売会では~特に近年の東京圏開催イベントでは~青少年健全育成条例に依拠する制約として、青少年に「見せてはならない」とされるものを青少年に見せないために、年齢確認の徹底やゾーニングの実施、場合によってはイベント自体に年齢制限をかけるなどの措置が求められています。
    これらの制約は、本質的には条例に根拠を求めることができますが、実質的には会場側の自主(?)規制の形をもって、会場からイベント主催者への指示・要求として施行されることが多いようです。条例により公権力が直接表現を制約しては言論の自由にまつわる問題が不可避となりますが、会場が契約の一環として制約するのであれば言論の自由は「直接持ち出すのは筋が悪い」結果になるだけなので、会場側(とその背後にある公権力)の対応としてはリーズナブルなものです。
    さて、この運用を実現するには年齢確認プロセスが不可欠です。本エントリの命題は「どのようにすれば」年齢確認が適切に行われたと見なせるのか、またはそうでないのか。

    先日、とある都産即売会で、年齢確認手段として「タスポを認めない」という現場にぶち当たりました。議論の出発点をここに置きましょう。
    本当にタスポは「即売会での年齢確認手段として」ダメなのか?または、「たまたまどこもタスポがダメだと思っているだけで、実際は問題ないのか?」。

    年齢確認を適切に行う手段として一般的に知られているのは、公権力によって発行された証明書を用いたプロセスでしょう。具体例としては運転免許証あたりを想像するのがもっともわかりやすいです。確認される側は運転免許証を提示し、確認する側は「それ」が正当な運転免許証であることを確認した後に、免許証に貼付されている写真と保有者が同一主体であることを目視で確認することで、正当な運転免許証が主張する年齢を「運転免許証の発行主体が信頼に値すること」を前提として認めるわけです。
    同様なモデルを適用すれば、保有者と身分証で記述されている主体の同一性が信頼でき、十分に信頼に足る発行主体が発行したことを十分な確度をもって信頼できるような身分証明書が出てくれば、同じ議論ができます。……とりあえず、これは何の問題もないケース。

    問題のあるケースを考えてみます。最初に、身分証の発行主体がどこであるか十分な確度をもって特定できないケース。
    典型的には住基カードが挙げられます。自治体は信頼できると言う人が多いでしょう。そこまではよいです。では、問題のカードは「本当にその自治体によって発行された」のでしょうか?住基カードのデザインは自治体によって異なります。ということは、見慣れないカードが出てきても「それが本当に正当な住基カードであるかどうか」を明確に判断することは出来ないことになります。ICチップ部分を読み出せば電子署名つきで判断可能ですが、そんなものをいちいち持ち出さなければ認証できないというのは即売会の現場を考えるとあまりに非現実的。

    次に、発行主体が信頼に値するかどうかわからないケース。具体的には社員証や学生証が挙げられます。その会社、学校は本当に「実在するんですか?」
    #住基カードでも同様の議論が起こります:その自治体は本当に「実在する」んですか?

    最後に、発行主体が確かであったとしても、そもそもの証明能力に疑問符があるケース。典型的にはタスポを挙げるのが適切でしょう。発行プロセスは原則として郵送ベースなわけで、「どうとでも」ごまかせます。住民票を持ち出せば発行できるので、Aさんの住民票+Bさんの写真をタスポの申し込み書類として送れば、「Aさんの名前・年齢が認証され、Bさんの写真が貼られたタスポ」の一丁上がり。

    では、このように「問題のある」身分証明手段を用いた年齢認証は、同人誌即売会の文脈で「致命的な」問題があるのでしょうか。本件の核心はこの部分。

    そもそも年齢認証を行わず野放しにして、青少年が手にとってはならない作品を手に取ったとしたら。法的には、加害者としての正犯はサークルとなります。東京都では「青少年の健全な育成に関する条例」第9条、第9条の2でどちらも「何人も、青少年に指定図書類/表示図書類を閲覧させ、または観覧させないように努めなければならない」と明記されていますので、青少年がその手の作品を手に取った時点で努力義務違反が認められます。また、もしサークル活動が「図書類の発行を業とする者」として認定された場合、第28条の規定により「当該青少年の年齢を知らないことを理由として処罰を免れることができない。ただし、過失のないときは、この限りでない」と、処罰にぶち当たります。
    #青少年保護の文脈では、たとえ青少年側が「作品の入手を望んだ」としてもサークル側は一切免責されません。青少年は「常に」被害者です。

    ということで、年齢認証はサークル側に一切の過失がない形で行われなければなりません。……では、どんな方法を使えば「完璧」なのでしょうか。この答えは、明確です。それも、ありとあらゆる即売会の運用をあざ笑う形で。……どんな手法でも穴はあります。「偽造証明書」。
    免許証は「誰もが知っている証明書」なので偽造が難しいですが、住基カードの偽造はより容易です:住基カードは自治体ごとにデザインが違うので、ある自治体の住基カードのデザインなんか、その自治体と縁のある人でなかったら知らなくて当然です。十分に古い発行日を設定してしまえば、当時はカード表面の偽造防止加工義務すらなかったのですから、偽造は簡単です。
    では、偽造証明書を見せられて、それを確認しなかったというのは過失になるのでしょうか。……と一段ずつ掘っていくと、「現実的なコストでどこまで確認するか」と「十分な確認をしなかったから過失だ」のせめぎあいになります。

    とある法律関係の方にこの話を雑談レベルで持ち出したところ、「身分証の発行主体に投げられるラインを基準にしたらどうだ?」という提案が降ってきました。つまり、身分証の種類と番号(もしくは特定可能な何かの情報)を控えるということ。たしかに、世の中では身分証による本人確認には「種類と番号を控える」というプロセスが入ってくることが多いです。
    ここまでできれば理想ですよね。……ただ、混雑する即売会で、大量の人間の年齢確認を円滑に行うという観点から、種類と番号を「控える」ところまで行けるか?という問いは残ります。

    何を証明書として使えば本人確認として適切かというのは、一部の文脈では公的な&オーソライズされた指令が出ているケースがあります。一例として、「犯罪による収益の移転防止に関する法律施行規則」に記述されている、利用できる身分証を紹介してみます:そのまま並べると極端に読みにくいので、ざっと整理して記述。

    • 印鑑登録証明書
    • 戸籍謄本、外国人登録原票の記載事項証明書、住民票の写しor記載事項証明書
    • 国民健康保険、健康保険、船員保険、後期高齢者医療保険、介護保険の被保険者証(いわゆる保険証)、健康保険日雇特例被保険者手帳、国家公務員共済組合or地方公務員共済組合の組合員奨、私立学校教職員共済制度の加入者証
    • 国民年金手帳、児童扶養手当証書、特別児童扶養手当証書、母子手帳、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳、戦傷病者手帳
    • 運転免許証、外国人登録証明書、住基カード
    • その他官公庁から発行された書類で、氏名、住所、生年月日、写真が揃っているもの
    • その他官公庁から発行された書類で、氏名、住所、生年月日が揃っているもの

    この記述では、民間関係の身分証は一切排除されています。犯罪収益移転防止法は国際条約絡みの規定なので、国際条約のほうを読んでみないと何とも言えないかな。

    別のパターンでは、公的な手続の文脈でも民間の発行した書類を身分証明として認めているケースがあります。典型的にはパスポート申請:「写真なしの公的証明書+写真つきの民間証明書」のペアを、公的な写真つき証明書と同等の信憑力を持つものとして認めています。

    民間セクターで本人確認をかけているケースではどんなルールがあるのでしょうか。
    プロメトリックというIT系資格試験を開催している組織では、こんな本人確認書類を提示しています。以下2点が必要ということで、かなり厳重な本人確認をしています。

    • 写真つきの本人確認書類 国家資格の証明書、政府機関発行身分証、学生証/社員証、写真つきクレジットカード 社員証の場合は顔写真があり、変造防止措置がかかっていて、フルネームが掲載されており、発行主体が明確であること
    • 自筆署名つきの写真なし本人確認書類 国家資格、政府機関発行身分証、学生証/社員証 or 健康保険証、健康保険カード、住民票のいずれか

    こう見てみると、「民間セクターの発行する証明書に証明書としての効力を認めない」文脈は、犯罪収益移転関係に代表される少数の運用に限られていそうです。民間の証明書だからダメだ、という運用はちょっと固すぎるでしょう。

    一方、身分証を「目視で確認するのみ、記録を残さない」という運用体系のほうには、過失が認められる余地が皆無ではなさそうです。ごく標準的な運用形態であることは間違いないので、そこに過失があると認められると影響は大きいですが……裁判でどうなるかは分かりません。最悪、身分証確認の記録を残さなければ「身分証の確認を行ったと認められない」という事実認定が降りてしまう可能性も全否定はできない、のかな……?

     

    ブログの作者

    北島(非同人方面)/あかみ(同人方面) です。いろいろやってます。