Posted on 2010 under 雑多な記事 |
21
2月
今日の朝日新聞にて、公立高校の学費無料化から朝鮮学校を除外すべきだという中井拉致問題担当相の発言が紹介されていました。各種学校も無料化に含める一方、朝鮮学校「だけ」除外するという考え方は、明らかに朝鮮人差別であり是認されるものではないと考えます。むろん、公人が公の場で行う発言としては、通常はあまりに不用意であり不適切です。
しかし、その発言が「中井担当相によるもの」であれば、全く話は別。中井担当相の任務は北朝鮮へ圧力をかけることであり、そのためにはありとあらゆるポジショントークを使うことができます。たとえば、サッカーの東アジア選手権決勝大会で北朝鮮チームが来日するという話であっても、「中井担当相の発言であれば」入国反対という発言は許されるでしょう。しかし、中井担当相/国家公安委員長およびその管轄下の組織に「入国を許すかどうか」個別に判断する権限は一切ありません。入国許可を判断するのは一義的に入国審査であり、入管は法務省所轄。国家公安委員会(内閣府所轄)とすら関わりはありません。そのことから見ても、「中井担当相の発言がもととして、直接北朝鮮チームの入国を拒否する」ことは明確ではない、即ち単なるポジショントークとして理解されることになります。
ポジショントークを100%そのまま真に受けて行動に移してはならないのは当然のこと。北朝鮮チームの入国を拒否したり、朝鮮学校「だけ」学費無料化から除外したりといった行為は、現実の国家判断としては「ありえません」。スポーツに政治を持ち込まないのは大前提です。だからこそ、スポーツが健全な国家間の戦いとして成立しうるわけで、ガチの政治と結びついてしまったらオリンピックと本物の銃弾が飛び交う戦争が区別できなくなります。
ポジショントークで騒ぎになった事例として、光市母子殺害事件での弁護方針もありました。当時は弁護方針について世論に相当な批判があり、7000通もの懲戒請求が一般市民から寄せられるという大騒動になりました。
よく考えてみてください。弁護士のポジションは何ですか?彼らは「弁護する」のが仕事です。どんな手段でも「弁護する」ことを投げ出したら、それは論外です。刑事被告人に対峙するのは検察官、法律と起訴のプロフェッショナル。そんな人相手に一般人がとりあえず互角に戦える仕組みとして、弁護士という仕掛けがあるのです。あの弁護戦術だって、弁護士のポジションです。批判されることは当然あるでしょうが、その批判は「判決」という形でなされるべきで、それもまた裁判という仕掛けに含まれるポジションの絡み合いです。
#実際、あの弁護方針が「弁護としてプラスになった」とは私も思っていません。それでも、外野が弁護方針を批判すべきではありません。弁護方針を批判するのは裁判官の仕事です。
橋下弁護技師は、光市母子殺害事件に絡めて一般市民に対して、安田弁護士への懲戒請求を呼びかけました。はっきり言って論外でしょう。弁護「士」が弁護「士」なのはポジションを含めた人道・人権への深い理解があるからこその表現であり、人権への理解が決定的に欠如している橋下氏については「弁護士」ではなく「弁護技師」と呼ばれるのが最も適当です。弁護士として、自らが依って立つポジションへの攻撃を公のメディアの力を借りて行う行為は単発とはいえ「やってはならない」行動でした。
最後に余談。最近話題の政治舌禍事件といえば、阿久根市のブログ市長。あれはポジショントークですらないと理解されなければなりません。アレがポジショントークだとしたら、阿久根市は国家全体の基本的な枠組を「阿久根市内に限り」破壊するという宣言であり、日本国からの独立宣言に類するものと考えるべきです。日本国の一部が独立宣言を行うのであれば、日本国として取るべき対応はたった一つ:日本の国防軍(自衛隊と呼ばれることもありますが)を派遣し、により簒奪された国土を取り返すべきです。これは日本国民としての私のポジショントークですな(笑
#同じ面積を取り戻すのに、竹島よりも「敵軍が弱いから」ちょうどいい、というのもあります。……もっとも、竹島奪還作戦は何が起きてもせいぜい死者数百人で済むでしょうが、阿久根市奪還作戦はざっと23,446人(Wikipediaによる)の死者が見込まれる、という問題点もありますなwww
Posted on 2010 under 同人文化, 同人音楽 |
18
2月
なんか最近、議論系記事ばっかりこっちに持ち込んでたので、普通の活動のお知らせも。
といっても中身は全然普通じゃないんですがw
2/20:
CLANNADソナタの簡単バージョン「CLANNADの主題による中ソナタ」が再演されます。
もちろん演奏者はちくちゅーさん。
というわけで、演奏会の詳細情報はこちら。
ASCコンサート in 蒲田 はじめての本格同人クラシックアレンジ
2/27:
新潟県十日町市で、花帰葬のオンリー即売会を開催してきます。「白と黒の花祭」
日本一、いや世界一の豪雪都市で、雪に埋もれる世界の物語のオンリーイベント。ちょっと毛色の変わったイベントですが、最近出てきた地方開催即売会の流れに乗っかった異色のイベントをお楽しみください。
3/20:
大阪で同人音楽研究会。今回は発表しない予定ですが、でもあいかわらず世話人の予定。今回は「左隣のラスプーチン」の方にボイスドラマ系の発表をお願いしております。
5/5:
M3即売会。サークル参加決まりました。詳細は3月中盤以降に改めて告知かけていきます。
5/15:
福岡で同人音楽演奏会 “Concert Series Q1”を開催します。同人即売会tenjin.beを開催してきたProject Arbalestさんとの合同プロジェクト。
Posted on 2010 under 同人文化 |
11
2月
そのえさんのblog、トゥルーStylish Private Note. の記事「同人誌は手に入らないものなんです。」を読んで。
同人誌……だけではなく、基本的には何を手に入れるのもそうなんですが、手に入らないと諦めてしまうのもそれはそれで「違う」と思います。
基本ベース(とりあえずいったん理想論で)は、買う側は欲しいと思う人が手に取れて、サークル側としては作った分がきっちり売り切れる。まずはここを基本に置きたいと思います。「基本的にみんなの幸せの総量が最大化される」パターン。
で、あとはリスクやコストを算段しつつ、ベストのラインを見つけ出すべきです。
作家さんへ「委託してほしい」とか「みんなが買えるような数量を出すべき」と意見を流すのは、通常のケースでは「作者さんにとっては情報量が存在する」わけで、批判されるような話ではありません。ただ、これを理由に「作家を非難する」のは多くの場合に外れ。
#「明らかに数千部売れるような作品なのに数十部~くらいしか生産せず、結果徹夜組を生み出す」みたいな異常ケースはちょっと脇に置いておいて。
でも、最終的な結論の一言には、こちらも同意です。
「出る環境がないというのならそれを作り出す、それが同人なんすよ。」
手に入らないのを当たり前と思うのではなく、手に入らないのなら「どうやれば手に入るのだろうか?」と考えてそういう環境を作る、それが幸せをつかむ(=萌えを手に入れる)道でしょう。
Posted on 2010 under 雑多な記事 |
26
1月
サンクリ問題とか、その他あちこちで個人情報問題が炸裂しています。昔からの話ですが、最近の思考をちょっとまとめておきます。
当然「事故で」個人情報が管理外に置かれてしまう事象は起こりうるわけで、そういった「事故」はどんなに対策をしても一定の割合で起きてしまうことは前提にしたほうがいいでしょう。たとえば、極論レベルで言えば「個人情報をタクシーで輸送中、武装強盗に個人情報を盗まれた」とか、「同じく個人情報を車輌で輸送中に車がぺちゃんこになるような事故が起き、個人情報が一部回収できなかった」とか。もしくは、サーバルームに強盗が押し入ったといった可能性もあるでしょう。
でも、そういった事故の可能性を低くするマネジメントは可能です。たとえば、サーバルームには厳重な鍵をかけておけば、マシンガンや爆発物とかで武装したような強盗でない「単なる空き巣」に対しては十分なマネジメントになります。Winnyで漏洩するリスクを減らすには、「Winnyを使うマシンと個人情報を扱うマシンは別にしなければならない」というマネジメントは少なくとも有益です。
#有益だけど「完璧ではない」ということは忘れないように。
で、一方。マネジメントを「ルール」ベースでやっているときに、社内なり組織内のルールを「正義と確信して」意図的に破ることは、これは別の問題で許されません。
たとえ個人情報だろうが何だろうが、ルールを破ることが許されない、という単純な問題です。ルールは「ルールを破るから」だけの理由で許されないのではなくて、それ以上に「あるルールに則った運営を前提として」誰かが動いている可能性があります。ルール違反は、その人たちにダメージを与える行為です。
問題はしっかり分離して、一つ一つ切り出しましょう。
個人情報漏洩問題はそれ自体が問題。なぜかというと、「マネジメントの外に個人情報が流出した」からであって、「個人情報が悪用されるから問題」ではありません。個人情報が悪用されるのは、その後の「被害の拡大」にすぎません。
一方、マネジメントに対する破壊行為はそれ自体が問題で、個人情報保護と関わったのは「単なる偶然、もしくはそういう手法が選択された」だけの話です。
Posted on 2010 under 雑多な記事 |
23
1月
しばしば、「成功」という単語は経済的な成功とイコールで結ばれます。で、同人活動を通じて「経済的成功」を手に入れる人が「ときどきいる」のは事実です。07th expansionが利益あげてないなんて言われても信じられる話じゃないですよね(笑
でも、経済的成功と同一視されるような「成功」が「唯一の定義であり、その他の定義は排除されるもの」なのか?という問いには、否定的な議論も十分あり得ます。そして、同人活動は「利益を上げなければならない/さもなければ排除される」資本主義的な活動の「枠外」にあることは間違いありません:なぜなら、同人の本質は表現活動であり、自由な表現を担保するための仕掛けでもあるからです。
資本主義の枠外において「成功」を定義した典型的な例として、「社会起業」があります。通常の資本主義的な文脈における起業は「資本主義的な成功の度合い」によって成功/失敗の区別と評価がなされますが、「社会起業」は資本主義的な成功の度合いによって評価されるのではなく、社会に対して与えた影響の大きさによって評価されるような営みです。
ここまでを前提(前振り)として、自分自身の「同人活動の成功」の定義を。
それなりに長生きし(少なくとも同人活動が原因で早死にすることなく)、死ぬその日まで自らの意志で自らの主体的な表現活動を継続できれば、それが成功です。
過去「同人活動」自体の歴史が30年とか40年しかない状況下でこの目標を明確に掲げるのは、、意外とハードルが高い話だと思います。
いままだ三十路に突入していない自分にとって「死ぬ」のは(平均余命を考えても)あと40年以上後の話、それだけの期間にわたって「同人活動を続ける」ことは、いまの自分にはきちんと想像できません。60歳なり70歳なりになったときに「コミケ3日間連続参加」が維持できるかと考えると、現状を見る限りどう見ても無茶でしょう。
私は、こんなあたりを「同人活動の成功」として見据えています。
#たとえ「大手になった」としても、それはひとつの段階、ステップ、もしくは手段にすぎない、というわけで。