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13
1月
外部からちょっと撫でただけでは内部が全く見えない「即売会の運営」。特に、小規模オンリー即売会の開催に「何が必要か」なんてこと、普通に同人活動をやっているだけの人には分かりません。私だって、即売会の開催をやってみてはじめて知ったことが山ほどありました。
というわけで、即売会ができるまでを「見える化する」というテーマを考えてます。
これから主催の道に入って行こうという人にとっては、普通に考えたらメリットだらけ。誰もやっていないだけの話です。誰かやりましょうよぉ。
……と単純に考えるのでは面白くないので、「見える化すること」にどんなデメリットがあるかを考えてみました。
即売会を主催し成功させるのに「必要な情報」は、間違いなく存在します。まずここは前提として受け入れます。存在するけれど見える化されていないということは、「何らかのクローズドな領域に」情報が隠されていると考えることができます。
「クローズドな領域」へのアクセスをコントロールすることで、「成功してはならない即売会」を成功させないためのシステムとして機能しているとしたらどうでしょうか?一種のギルド制度とも言えます。もちろん即売会の多様性を一部損なうことにはなりますが、一方で「成功してはならない、成功を支えるだけの力がない」主催者によって「妙なスペックのイベントが開催されてしまうこと」だけは回避できます。
と考えると、「見える化すること」はこの手のコントロールシステムの機能が失われる、即ち「烏合の衆が即売会を開催して、失敗イベントを連打してしまう」可能性を高めることになります。
この手のコントロールシステムだけでは、「(少なくともギルドからの供給の意味では)ゼロノウハウで即売会を成功させてしまう」チーム~しばしば外部からの乱入者だと思われますが~の出現を回避できません。
そりゃ、日本の法律で「即売会を開催するには即売会マイスターの資格が必要である」なんて書いてありませんから、集会結社の自由もありますし、即売会は「誰にでも開催できてしまい」ます。それが成功するかどうかは誰にも分かりませんが!
うん。思考実験やってみて、暗い気持ちになりました(ぉ
性悪説を展開し続けると、行き先はたとえばインターネット免許制とか、表現活動免許制とか、検閲制度とかなんですよねぇ。あのへんの「ろくでもない手口」は「この手のデメリットを回避する」のには本当に役に立ちます。そして、言論・表現の自由は構造的に、致命的に破壊されます。
言論・表現の自由は「事実上不可侵の、最も重要な神聖な自由である」ということを「前提としない」限り簡単なロジックで破壊できてしまうので、だからこそ西側系の権利章典では「最も重要な自由である」と定義し、前提としているのでしょう。フィクションにフィクションを重ねていますが、とりあえずそのフィクションは信じる限り機能しています。
#だから、フィクションをぶっ壊そうとする行為に対しては強く抗議しなければならない。
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12
1月
古くて新しい問題、「セキュリティ」。近頃、GMailやDropboxといったクラウドを前提とするアプリケーションの隆盛に伴って、クラウドの抱えるセキュリティ問題が取り沙汰されるようになりました。曰く、クラウドコンピューティングを社内のインフラで使った時点でISMS認証は諦めざるを得ないとか云々。
セキュリティは2つの側面から考えることができます:「実際に情報漏洩や情報消失、障害による運用不可の危険性があるか」、「外部の第三者から見て、そのシステムに危険性がないことを安心/信頼/信用できるか」。
前者、つまり本来のセキュリティに関して言えば、システム全体の脆弱度は「システム内部で最も弱い部分の脆弱度」に左右されます。
少なくとも「まともなクラウド」であれば、前者は情報漏洩の問題を除けば「下手に社内サーバを立ち上げるより」安全性が高いと考えることもできます。AmazonにせよGoogleにせよこの手の巨大規模クラウドは数万台~といった凄まじい台数のサーバを各地で運用しており、巨大災害リスクに対しても強靱なリスク対策が実現できています。必然的にサーバ障害による情報消失/運用不可の可能性は高いものにはなりません。
#このへんはAmazonよりgoogleのほうが強いのでは、と考えてます。アメリカに隕石が落ちて北米壊滅みたいな事態になっても、googleは南米やヨーロッパ、極東アジアにきっちりデータセンター持ってますし。といっても、そのレベルなら地球人類の存続自体に対して致命的なリスクなのであんまり関係ない?
情報漏洩の可能性について、Amazon/Googleのクラウドを用いることで発生する特段のリスクは何でしょうか。クラウドを用いることで発生する「特段のリスク」は、まともにサーバが管理されていれば当然存在しません。議論としては、社内サーバの管理を「GoogleやAmazonと同レベルで」行えていると胸を張って言い切れる企業がこの世にどれだけあるのか?という疑問を発するのとほぼ同様の構造を持つでしょう。
以上から、クラウドを使うことで発生する「特段のリスク」は技術的には存在しない、と考えることができます。
もちろん人間系のリスクは「クラウドを使っても使わなくても」同様に存在しますし、クラウドを使う場合「データが全部クラウドに保存される」と考えると、セキュリティが破られた場合の損害はクラウドを使わなかった場合に比べて大きくなる傾向がありそうです。
#twitterの企業内部情報が漏洩した事件は、まさに人間系によりクラウドのセキュリティが破られて多大な被害を出した事件と考えることができます。
一方、クラウドを使うことで「第三者に向けて安全性を説得できるか」という問いは、微妙な問題をはらみます。大前提として、データを保有しているはずのクラウドのユーザーですら、「本当にデータが安全に運用されている」ことの証拠を得ることはできません。Amazon/Googleサイドの脆弱度が「十分に低い」ことは推測にすぎません。
#この場合、GoogleやAmazonがISMSを取得していようがPマークを取得していようが「無意味」です。ISMSやPマークの取得は「セキュリティ&ポリシーが管理され、適切に運用されていること」を認証するものにすぎず、「真にセキュアであること」は誰も保証していません。実際には取得していなさそうですし……。
ISMSのプロセスでは「あらゆる情報資産の運用に対してリスクを特定し、評価すること」が求められています。一方、クラウドのリスク特定は困難です。少なくとも「Amazon S3からのデータ漏洩のリスクを明確に第三者に説明できるように客観的かつサイエンティフィックにロジカルに説明する」ことは、Amazonのシステム詳細が公開されていない限り無理でしょう。
セキュリティ問題をクリアした上でクラウドを普及させるには、クラウド基盤が「本当にセキュアであること」を監査する仕組みが必要なのかもしれません。ISMSやPマークの類のように「管理されていること」を監査するレベルではなく、どのくらいの技術リスクがどこにあるのかを明確に洗い出せる仕組み。それが出現することで、はじめてクラウドの利用をISMSにおけるリスク特定の枠組に当てはめていけるようになるのでしょう。
クラウドは「ある種の企業においては」とてつもなく大きな可能性を秘めた道具となります。特に、「本質的にテレワークな組織」ではクラウドの類がなければ仕事になりません。
#あまり例が多いわけではありませんが、私自身もそういう企業の存在を知っています:「実質的なオフィス」がどこにも存在しない企業。
しかし、「クラウドを使わなければ仕事にならない」わけでなければ、クラウドを「使わない」という選択肢も考えざるを得ないのが現状でしょう。特に、ISMSやPマークのように「本質的に第三者をを信じない」社会的な仕組みに組み込んでいくのであればなおのこと。
個人的には、ISMSやPマークの取得が「前提となりつつある社会で」、クラウドという「便利な道具」を利用できない社会的な仕組み、というのはよろしくないように思えます。クラウドを絡めたセキュリティ監査をどう実現していくか、どうやって「クラウドを信頼するか」の枠組ができていくことを望みます。
—-
自分自身の個人的なプロジェクトでは、クラウドを駆使しています。ぶっちゃけ「プロジェクトのための単独の共有サーバ」を確保する余裕なんかどこにもありませんし、クラウド系のWebサービスはとにかく安いので。
クラウドを使うことによるセキュリティの低下は「存在したとしても、人間系によるトラブルと比較して無視できるほど小さい」と考えています。……結果的に、某織姫では人間系によって個人情報マネジメントシステムを破壊されてしまいました。ちゃんちゃん。
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11
1月
twitterで軽く話題になっていたので。
企業対企業としてJALと本格的な取引(モノの売り買いとか)をするリスクは、「法的整理寸前の企業と取引するリスク」として通常考えられているものとおそらく同種です。なので、わざわざ議論するまでのことではありません。
一方、通常の仕事においてJALは「取引相手」としての顔よりも「航空会社」としての顔が一般的です。出張のある仕事なら、JALを使うことも多いのではないでしょうか。法的整理寸前の企業であるJALを仕事で「使う」ことに関わるリスクを考えてみました。
1.事前に予約した便が飛ばないリスク
突然の全社的な運航停止、もしくは燃料の手配が困難になる、等の理由で、事前に予約し手配した(=出張の部品として使う)便が飛ばないリスクがあります。
このリスクに対応するには、たとえばANA等他社便も存在する路線を使うこと、新幹線利用でも間に合うスケジュールを組んでおくことなどが事前の回避策として考えられます。
2.安全性が低下するリスク
安全には当然コストがかかります。そこが削られたとしたら……?当然、安全性は低下します。問題はその安全性の低下が「有意なもの」となるかどうか。そして、本当にJAL再建で「安全性にかかわるコストまで切り込む」アプローチが取られるかどうか。
個人的には、「安全性には手を付けないだろう」と思うんですが……。というか、実際に日本の航空会社の安全性を支えているのはJAL/ANAのお金だけではなくて「日本人のメンタリティ」を含む全体的な仕組みだと思うので、そう簡単に安全性は落ちないに一票。
3.マイル等付帯サービスの消滅
「JALを選んだ」理由としてこれらの付帯サービスを挙げていた場合、判断の正当性が問われるリスクがあります。ただ、「飛行機を移動手段として使うだけ」という根幹に限れば、大した問題ではないでしょう。
……と考えて。
結局私はJALもANAも使い続けます。うちにとっては、マイレージより「より便利な便が飛んでいる」ほうが重要ですからね。
スカイマークだろうがスターフライヤーだろうが、必要な時間帯に必要な便があれば何でも使います。結局「JALを使うリスク」はその程度のものでしょう。
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8
1月
さて、STRIKE HOLE様から反論・議論のためのエントリをいただきました。ありがとうございます。
織姫様「同人文化の多様性と、地方の独自な習慣の是非について」についての自身の見解
http://blog.livedoor.jp/analstrike/archives/51600264.html
……前回はトラックバックがうまく通っていなかったみたいで。ごめんなさい、です。
で、こちらへの返信をメインに。
今回はかなり議論が散逸します。正直自分自身もきちっと練り切れていない部分があり、細かくケースバイケースで見ていくと「通常は常識視されている原理原則」の盲目的な適用が最適解ではないケースもそれなりに出会っているので、クリアカットな議論にはできません。
というわけで議論の口調にギアチェンジ。
>また、地方ルールを貫いた所で、サークルは他の地域の即売会にも遠征参加する。
>そこで他の地域のルールに優位性を見い出せば、地元のイベントを劣るものと捉え、地元のイベントは魅力を失う。地元のイベントからのサークル流出にも繋がる。
もちろん、その「地方ルールが」地方の地元の人にとって魅力のないルールだとしたら、それはおそらくルールの最適化が不十分だ、ということ。十分に最適化されていないルール・スタイルは、その分「参加者の満足度の低下」に繋がるのは自明:最適な状態よりは良くないのだから。問題は、その「最適化されていない部分」がどのくらい定量的に問題か、そして致命的か、ということに繋がるだろう。
物理屋的な発想を持ち込むと、怖いケースとして「局所最適への最適化」がある。「イベントのスタイルをちょっと揺らす程度」だけの考慮から見れば最適解のように見えるが、根本的なところで間違っていて全体として最適解では全くないような話。コミックネットワークでも同様の事態が起きていたのかも……しれない。
同種の問題として、サンクリのコスプレ導入問題について私が「大きな憂慮を持たない」のも、サンクリのコスプレ導入は「満足度低下に繋がるかもしれないが、トータルでそれが致命的な領域ではないだろう」と予測・評価しているだけの話である。正直ここは「やってみないと分からない」。
大まかに見たらこんなところだろう。
ただ、コミックネットワーク方面は「一度現地を見に行かねば語れないのでは?」という疑念もあり、あまりちゃんと語りまくる気にはなれない。夢彗星が「東京で失敗したこと」くらいは東京側の情報で議論してもよいような気もするが、「九州における夢彗星の現状」や「コミックネットワークの現状」は東京の人間は「まともに知らない」っぽいので……。
少なくとも、九州イベントについては「こっちが知らないこと」が多すぎる。実は11月にProject Arbalestの皆様からそのへんの現場をお伺いする機会があって、「現場を見ないで語る」ことの怖さを思い知らされた。東京の論理が極端に強い大9州東方祭ですら「東京ではあり得ない話」がいくつか聞こえてきているし……
別のベクトルから同じ議論を繰り返してみる。いったん同人の「常識」から離れて、どんなスタイルが最適なのかを一から考え直すという想定。
まず最初に邪魔になる発想(定着したスタイル)が、参加者を「参加者」と呼び、「お客様」として扱わない思想だろう。確かにイベントを作る「参加者」として一般参加者は重要な構成要素だし、参加者自身として「お客様気分で」参加するのはNG。みんながお客様気分で参加したら、コミケなんて早晩吹っ飛ぶだろう。しかし、だからといってスタッフはサークル参加者・一般参加者へのホスピタリティ、もてなしの心を忘れて良いのだろうか?サークルは一般へのもてなしの心を忘れて良いのか?
「参加者と呼ぶ」ことは、同人世界をその他の世界と明白に区別するキーワードとして機能している。このキーワード自体を云々するつもりはない:「区別するキーワード」としてとても良いし、良い意味でのアマチュアイズムが全開になっている。しかし、だからといってスタッフやサークル側が「一般はお客様ではないのだから邪険にして良い」という発想は間違っている。(注:とあるイベントでこの手の思想が実在した。論外と評価。)
一つのケーススタディとして、九州地方のイベントの特異性を考える。3週間前に案内書が送られては困る、という人が多いとする。しかし、宅急便搬入を試みる人や、遠方からの遠征組にとっては3週間前くらいに案内書が届かないと困るのも事実。さぁどうするか?
tenjin.beは一つの面白い結論を出した:サークルチケットの存在しない同人即売会。Webベースで案内書をアップロード、サークルチケットをそもそも発送しなければ、郵便事故に悩まされることもない。3週間前から案内書がアップロードされていようが、サークル参加者にとって「サークルチケットをなくす」心配はしなくてよい。過去の即売会には珍しいパターンだが、実はtenjin.beについては十分に最適化されているので?と思う。
もちろん、この方法はコミケには最適化されていない。コミケで「サークルチケットを廃止します」やってみたら、現在は東館駐車場や西館正面に形成されている巨大待機列が、10時前にして館内の大手サークル前に形成されることになるのでは?wwww
カップリングを配慮した配置も、「真にそれが常に最適」とは限らない。マイナージャンルのオンリーや、sp数が2桁中盤に届かないような小規模オールジャンルイベントであれば、また別の方法論があり得そうな気もする。実際は「配置してみないと分からない」とか、「カップリング違いのサークルは険悪である」といった要素で結局カップリングを配慮した配置になるような気もしなくはないが。
なんだかんだで、同人イベントの多様性を語るには現地を見た経験が必要なのかもしれない。その意味で、花祭準備も含めて全国のイベントを回った経験は本当にためになった。オールジャンルが新潟(ガタケ)・大阪(シティ)・鹿児島(drink bar)の3回、東方オンリーが名古屋のまんがまつり1,花帰葬が大阪1回と名古屋1回。同じ「名古屋イベント」でもまんがまつり1と花帰葬(なごはな!)は全然違うイベントだったし、「なぜそうなったか」もだいたい見えてきた。
前回のエントリは「地方の習慣を別のエリアに直接無考慮で持ち込むことはまずい」という趣旨をしゃべっているが、実はマイナージャンルの場合「あえて別地方の習慣を持ち込む」ほうが良いこともあり得る。少なくとも、現在花帰葬でオンリーやろうとするなら現地の習慣よりは関西の習慣を持ち込んだほうが良いだろうなとも思えるが、このへん「なぜそうなのか」は花祭主催としては口をつぐむべき領域だろうwww(苦笑
#花祭は東京、関西、九州、その他全国各地の「良いとこ取り」なコンセプト:花帰葬級のマイナージャンル、しかも過疎地開催だからこそ可能なアプローチ。
正直、この手の話は「総体的に見て」クリアカットな議論ができそうには思えない。多様性が是であり、かつ「全国のルール均一化が必ずしも最善ではない」ことだけは間違いないのだが……。
ということで、ぐだぐだ議論でした。大局的な議論はいいんですが、同人で細かい話を議論しようとすると綺麗にならないですね……。
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7
1月
冬コミも終わり、新春一発目のエントリとなります。
みなさまにおかれましては、新春のお慶びを申し上げるとともに今年の同人活動の無事をお祈りさせていただきます。
……本来喪中ですけど、そんなの気にしないことにしておいて。
さて、新春一発目のエントリはいつもネタにしているSTRIKE HOLEさんの記事から、あちらの新春記事「年頭の辞~地方ルールの是非を問う~」 http://blog.livedoor.jp/analstrike/archives/51598922.html への反論。
同人即売会の根底たる「同人文化」は、なによりも多様性を尊ぶ文化。そもそも文化自体がそういうもの、多様性があって然るべきものでああるが、同人文化はそもそも商業文化へのオルタナティブとして成長してきた以上強い多様性はあって当然、むしろ多様性の大きさそのものが同人文化の本質的な価値の重要な要素だろう。ここで、本質的な価値とは、どんな良い作品が生まれているか、生まれていないか、そんな些末なパラメータには左右されずに文化そのものが保有している価値を指す。
同人文化はさまざまな形をとって「現実に」出現してくるが、典型的な手法の一つが「同人即売会」。コミックマーケットを頂点として、毎週のように全国各地で多数のイベントが開催されている。……コミケを頂点だと言うと怒る人が多いが、現実的にコミケが規模でも多様性の意味でも存在感の意味でも最大のイベントだということは誰が否定できようか?といってもここは本題ではない。本題はコミケを頂点とした、ピラミッドの「下の方」の話。
当然、イベントにも多様性はあって当たり前。同じ1000スペース規模のイベントでも、地方のオールジャンルと東京の巨大規模オンリー、男性向けオールジャンルと、当然イベントの色は違う。同じ100スペースのイベントでも、鹿児島のイベントと山形のイベントでは全然違う。
イベントには多様性があって当然。そして、当然良いイベントと悪いイベントがある。普通に考えたら悪いイベントは無くなって欲しい。そりゃ当たり前の話で、本当に悪いイベントであれば参加者は「楽しめない」という結果が出てしまう。しかし、「より良いイベント」「より悪いイベント」程度の話であれば、必ずしも「より悪いイベント」には退場してもらう必要はない。むしろその程度で退場を強要していては、多様性が損なわれる。それこそ同人文化の本質的な価値を損なう重大な問題ではないか?
#もちろん「より良いイベントを目指す」強い意志は必須。多様性を維持しつつ全体の価値を自主的に高めるには、参加者各自が自主的に価値向上へ向けた取り組みに励むしかない。
「地方ルールの是非を~」の議論では、夢彗星の「やらかした」一連の事件を例に取って原因を南九州地区の即売会が持つ「個性」に求めている。より厳密に言えば、南九州地区のイベントの個性を東京に持ち込んだことが原因であると。
その議論自体はそう間違ってはいない。実際に南九州のイベントが普遍的にこういう個性を持っているかと言われれば、現場を知っている(向こうのイベントにサークル参加してきました)身としては必ずしもYesとは言えないが(むしろNoではないか?)、それはともかく「東京イベントの個性に最適化されていない思想を外部から持ち込んだ」ことはほぼ間違いない。
しかし、そこから導き出されるべき論点は「地方のルールが存在すること」ではないはずだ。地方のルールが存在すること自体、さらにいえば地方の個性が存在すること自体は、「その地方の人たちによる評価を高める」という意味では実は十分に最適化されているのかもしれない。もう一段本質的には、「地方のルールを東京に(然るべき改変を加えずに)直接持ち込んだこと」のほうがよほど問題だろう。
うちもdrink barに東京から申し込みをかけたときは大変だった。サークル申込書を九州から郵送で取り寄せて、こちらから申込書を郵送。送り先が鹿児島ともなれば東京エリアとは違って、送付にも+1日はかかる。もちろんサークル案内が届いたのもぎりぎりのタイミング。九州イベントでは標準的にサークル案内が届くのが遅いことくらい最初から分かっていたのでこちらは気にしなかったが、そのへんの話を知り合いの主催にしたところ半ば凍り付いてましたよ?
でも、考えてみよう。現地の人たちに宅急便搬入する人なんかほとんどいない。ラミカ200枚搬入するのにどこに宅急便の必要が?コピー本50冊くらいカートがあれば十分手持ち搬入できる。ぶっちゃけこれで、地元の人(=参加者の大半)には何の問題もない。
もう一段考えてみよう。東京のイベントでは、普通に考えて3週間くらい前にはサークル宛の案内書が送付されるだろう。
……そんなに早い「必要が」どこにあるか?いつもの会場でのいつものイベント、いつものスタイル。参加しているのもいつもの人達、だいたい全部「いつもの通り」。案内書がなくても、概要は「地元の人には」分かる。地元に友達がいない同人作家?……普通はそんなことはない。だって参加者は(ステレオタイプに言ってしまえば)みんな地元の高校生。分からないことがあったら先輩に聞け。
かくして、「サークルチケットをなくさないように」サークル宛案内書なんて1週間前発送で十分。
東京にこんな習慣持ち込んだら単なる悪習だ。しかし、逆に鹿児島に東京の習慣(=3週間前発送)を持ち込んだら、これもこれで悪習になりそうだ。それぞれの地方のルールは、普遍的に「どちらが良く、どちらが悪習だ」と言えるものでもない。
地方ルールは、現地の習慣・状況に最適化された「やり方」の束。現地でのやり方がうまく最適化されていれば、それに合わせてしまうのが一番。だからこそ、「他のエリアで即売会を開催するには」そのエリアの習慣を知る必要があるわけだ。夢彗星は、その段階で間違いなく大きな失敗をやらかした。
どうすればこの状況を改善できるだろうか?
即売会どうしの協力態勢。
まずは、これに尽きるだろう。地方イベンターが東京でイベントをやりたかったら、東京のイベンターに話を聞け。逆に東京のイベンターが地方でイベントをやりたかったら、現地事情を知っている人に話を聞きまくれ。現地のことは現地の人が一番分かっている。ジャンルのことはジャンルの人が一番分かっている。そして、質問が飛んできたらできるだけ対応するし、ちゃんと状況を見える化しよう。第二第三の夢彗星を生まないために他のイベントのために協力すれば、その果実は必ずや自分にも返ってくるはずだ。「あのイベントは失敗しそうだから、協力は拒否」というのは何よりも愚かだ。放っておけば、もしくは協力を拒否すれば失敗する可能性が高まるし、失敗したイベントに向かって舌を出して「ざまあみろ」と言ったからといって、失敗「させた」ことが正当化されるわけではないし、ましてや失敗が正当化されるわけでもない。
#夢彗星にも、東京でのアドバイザーはいなかったのだろうか。……いなかったはずはない、と思うんだけどなぁ……?
そういう意味で。
実は、Project Arbalestのtbe.ccにも一抹の不安はある。九州内あちこちでイベントを開催するというコンセプトのようだが……福岡はtenjin.beの経験もあるし、現地ルールは分かってるだろうと思える。佐世保も昔の「あるばれすと」時代を考えれば、ルールへの理解をゼロからスタートするよりはよほど知識量がある。しかし、その次のイベントはどうなるのだろうか?特に東九州はスタジオYOUの覇権エリア。NPOということで法人格を持っていたとしても、現地の見える化されていないルールを知るには壁がありそうにしか思えない。
もっとも、Project Arbalestにはその壁を跳ね返せるだけの力があることも間違いない。Project Arbalestがその壁をぶち破ったとき、彼らは「福岡(と佐世保)のイベンター」の壁を越えて、九州全域でイベントをコンサルティングできるとんでもない頭脳集団と化すだろう。そして、外部から九州でのイベント開催のために乗り込んでくる主催たちにも力を提供できるようになるはずだ。
今度の東方久遠境は、そんな力を持っているはずの「福岡のイベンター」が久留米・大牟田のイベンターと組むことで凄まじい未来への扉をこじあける、そんなイベントになるような気がしてならない。うちだって花祭なければ久留米行ってるかも?
#同人では福岡中心部(博多・天神)と久留米・大牟田は別の地域圏、つまり別のローカルルールが存在している。で、久遠境のコアスタッフは久留米(・大牟田)側の人たち。……このこと一つ見ても、同人のローカルルールは「一筋縄ではいかない」くらい細かい話なのが分かるだろう。
地方のルールを潰すことではなく、見える化することで、より高い地平を目指す。そのことさえ気をつけていれば、地域外からイベンターがやってくることは多様性を高めることに繋がるわけで、決して悪いことばかりではない。そのためには、地元で「イベンターを受け入れる」用意すら必要なのだ。それができていれば、そしてイベンターを支援する仕組みを作りだしさえしていれば、そこには素晴らしい未来が見えるだろう。そう、いろいろな多様性を持つ地方イベントたちが活躍する未来。私としては、そういう「多様性を高められる」未来が到来することを待ち望む立場に回りたい。