北島/あかみのプライベートなブログです。

Archives for 2月, 2010

今日の朝日新聞にて、公立高校の学費無料化から朝鮮学校を除外すべきだという中井拉致問題担当相の発言が紹介されていました。各種学校も無料化に含める一方、朝鮮学校「だけ」除外するという考え方は、明らかに朝鮮人差別であり是認されるものではないと考えます。むろん、公人が公の場で行う発言としては、通常はあまりに不用意であり不適切です。

しかし、その発言が「中井担当相によるもの」であれば、全く話は別。中井担当相の任務は北朝鮮へ圧力をかけることであり、そのためにはありとあらゆるポジショントークを使うことができます。たとえば、サッカーの東アジア選手権決勝大会で北朝鮮チームが来日するという話であっても、「中井担当相の発言であれば」入国反対という発言は許されるでしょう。しかし、中井担当相/国家公安委員長およびその管轄下の組織に「入国を許すかどうか」個別に判断する権限は一切ありません。入国許可を判断するのは一義的に入国審査であり、入管は法務省所轄。国家公安委員会(内閣府所轄)とすら関わりはありません。そのことから見ても、「中井担当相の発言がもととして、直接北朝鮮チームの入国を拒否する」ことは明確ではない、即ち単なるポジショントークとして理解されることになります。

ポジショントークを100%そのまま真に受けて行動に移してはならないのは当然のこと。北朝鮮チームの入国を拒否したり、朝鮮学校「だけ」学費無料化から除外したりといった行為は、現実の国家判断としては「ありえません」。スポーツに政治を持ち込まないのは大前提です。だからこそ、スポーツが健全な国家間の戦いとして成立しうるわけで、ガチの政治と結びついてしまったらオリンピックと本物の銃弾が飛び交う戦争が区別できなくなります。

ポジショントークで騒ぎになった事例として、光市母子殺害事件での弁護方針もありました。当時は弁護方針について世論に相当な批判があり、7000通もの懲戒請求が一般市民から寄せられるという大騒動になりました。
よく考えてみてください。弁護士のポジションは何ですか?彼らは「弁護する」のが仕事です。どんな手段でも「弁護する」ことを投げ出したら、それは論外です。刑事被告人に対峙するのは検察官、法律と起訴のプロフェッショナル。そんな人相手に一般人がとりあえず互角に戦える仕組みとして、弁護士という仕掛けがあるのです。あの弁護戦術だって、弁護士のポジションです。批判されることは当然あるでしょうが、その批判は「判決」という形でなされるべきで、それもまた裁判という仕掛けに含まれるポジションの絡み合いです。
#実際、あの弁護方針が「弁護としてプラスになった」とは私も思っていません。それでも、外野が弁護方針を批判すべきではありません。弁護方針を批判するのは裁判官の仕事です。

橋下弁護技師は、光市母子殺害事件に絡めて一般市民に対して、安田弁護士への懲戒請求を呼びかけました。はっきり言って論外でしょう。弁護「士」が弁護「士」なのはポジションを含めた人道・人権への深い理解があるからこその表現であり、人権への理解が決定的に欠如している橋下氏については「弁護士」ではなく「弁護技師」と呼ばれるのが最も適当です。弁護士として、自らが依って立つポジションへの攻撃を公のメディアの力を借りて行う行為は単発とはいえ「やってはならない」行動でした。

最後に余談。最近話題の政治舌禍事件といえば、阿久根市のブログ市長。あれはポジショントークですらないと理解されなければなりません。アレがポジショントークだとしたら、阿久根市は国家全体の基本的な枠組を「阿久根市内に限り」破壊するという宣言であり、日本国からの独立宣言に類するものと考えるべきです。日本国の一部が独立宣言を行うのであれば、日本国として取るべき対応はたった一つ:日本の国防軍(自衛隊と呼ばれることもありますが)を派遣し、により簒奪された国土を取り返すべきです。これは日本国民としての私のポジショントークですな(笑
#同じ面積を取り戻すのに、竹島よりも「敵軍が弱いから」ちょうどいい、というのもあります。……もっとも、竹島奪還作戦は何が起きてもせいぜい死者数百人で済むでしょうが、阿久根市奪還作戦はざっと23,446人(Wikipediaによる)の死者が見込まれる、という問題点もありますなwww

なんか最近、議論系記事ばっかりこっちに持ち込んでたので、普通の活動のお知らせも。
といっても中身は全然普通じゃないんですがw

2/20:
CLANNADソナタの簡単バージョン「CLANNADの主題による中ソナタ」が再演されます。
もちろん演奏者はちくちゅーさん。

というわけで、演奏会の詳細情報はこちら。
ASCコンサート in 蒲田 はじめての本格同人クラシックアレンジ

2/27:
新潟県十日町市で、花帰葬のオンリー即売会を開催してきます。「白と黒の花祭
日本一、いや世界一の豪雪都市で、雪に埋もれる世界の物語のオンリーイベント。ちょっと毛色の変わったイベントですが、最近出てきた地方開催即売会の流れに乗っかった異色のイベントをお楽しみください。

3/20:
大阪で同人音楽研究会。今回は発表しない予定ですが、でもあいかわらず世話人の予定。今回は「左隣のラスプーチン」の方にボイスドラマ系の発表をお願いしております。

5/5:
M3即売会。サークル参加決まりました。詳細は3月中盤以降に改めて告知かけていきます。

5/15:
福岡で同人音楽演奏会 “Concert Series Q1”を開催します。同人即売会tenjin.beを開催してきたProject Arbalestさんとの合同プロジェクト。

そのえさんのblog、トゥルーStylish Private Note. の記事「同人誌は手に入らないものなんです。」を読んで。

同人誌……だけではなく、基本的には何を手に入れるのもそうなんですが、手に入らないと諦めてしまうのもそれはそれで「違う」と思います。

基本ベース(とりあえずいったん理想論で)は、買う側は欲しいと思う人が手に取れて、サークル側としては作った分がきっちり売り切れる。まずはここを基本に置きたいと思います。「基本的にみんなの幸せの総量が最大化される」パターン。
で、あとはリスクやコストを算段しつつ、ベストのラインを見つけ出すべきです。

作家さんへ「委託してほしい」とか「みんなが買えるような数量を出すべき」と意見を流すのは、通常のケースでは「作者さんにとっては情報量が存在する」わけで、批判されるような話ではありません。ただ、これを理由に「作家を非難する」のは多くの場合に外れ。
#「明らかに数千部売れるような作品なのに数十部~くらいしか生産せず、結果徹夜組を生み出す」みたいな異常ケースはちょっと脇に置いておいて。

でも、最終的な結論の一言には、こちらも同意です。

「出る環境がないというのならそれを作り出す、それが同人なんすよ。」

手に入らないのを当たり前と思うのではなく、手に入らないのなら「どうやれば手に入るのだろうか?」と考えてそういう環境を作る、それが幸せをつかむ(=萌えを手に入れる)道でしょう。

 

ブログの作者

北島(非同人方面)/あかみ(同人方面) です。いろいろやってます。