Posted on 2008 under 同人音楽 |
6
9月
最近2chに私のメールがコピペされたので、こっちで返答してみます。2chに返答乗り込むのも良いんですが、スレに書き込むよりこっちのほうがガチに書けるのでwww
同人=利益を上げてはならない、とか「利益を前提とした同人活動=同人ゴロ」って、誰が考えついた思想でしたっけ?
「同人活動で利益を上げてはならない」という話の出所は、ざっと2種類考えられます。
1:二次創作同人活動では、権利侵害をフェアユース的な意識にとどめるために原作者の商業活動(=ビジネス)を阻害してはならない
2:同人活動は趣味であり、趣味で利益を上げることはとんでもない
で。
1.のほうは「資本主義社会(=同人世界の外部の政治経済的枠組み)に照らしてロジカルに理解できる」話です。
実は織姫の話の枠組みを検討する段階で、商業創作者の方にもいくらか相談してます:やはり「同人オペラ」となるとあまりに規模が大きすぎ、利益を上げる云々以前の問題として原作者には相談してほしいという話が聞こえてきました。最初期のメモには「君望オペラ」という構想も上がっていましたが、(そもそもageは音楽二次創作不可?という話を別にしても)やはり二次創作の大規模オペラはやめにしておこう、というのがこちらの構想です。
……東方ならまたべつの枠組みで可能かもしれませんけどね。
2.のほうが根は深いのかな。というかこいつは「思想」レベルの話だと思うので、「趣味で利益を上げてはならない」という話は正しい正しくないの話とは違うような気がします:どちらの考え方も「考え方」としてはアリです。「私はその考え方に同意しないが、あなたがそれを主張する権利は全力で保障する」というやつです。
#このへんはとある同人作家と議論したことがあります。究極的に「同人は自分のやりたいことをやるための場だから、何をやってもいいんだよねい・間違っているとは言えない種類の話でしょう。……というか「利益」って何ですか?(笑
うちは昔からこんなことを言ってきました:「長期的に活動するという視点において、赤字前提での作品創作は(一般論として)良いとは言えない」と。先日とあるマイミクの日記にもコメントした話と繋がりますが、私の場合創作活動の前提として「長期的に&シリアスに作品を練り上げる」ことを常に意識しています。ひとつの作品を創るとその次の作品に繋がり、さらにその先へ繋がるという流れでもあります。ということで、うちは「趣味で利益を上げる」ことには好意的であり、むしろ自分は「作品頒布価格は(今後の活動に繋げる程度の)利益を上げられるように設定しなければならない」と考えて活動しています。
大規模活動にお金がかかるのは皆さんご理解していますよね?片霧烈火オーケストラライブ(同人音楽史上最大級のプロジェクト)があの値段でペイするはずもないでしょう:在京プロオケの演奏会チケット価格を参照。あのライブは全席埋まればやっとぎりぎりペイ?、というくらいの金額だと思います。
もしもボックスに「もしも同人活動で利益を上げる人がいないとしたら」と言い放ったとたん、片霧烈火オーケストラライブは消滅します。アレはふだんの活動利益を留保しているからこそできるイベントでしょう。
……そして、おそらく数多くの大手サークルが消滅します。ほとんどの大手サークルは利益を上げることを前提とした枠組みを組んでいると考えています:「どーじんは趣味なんだからどこの大手サークルも利益は上げていませんよ?」と思いこんでいる人、そこの崖から一歩前へ。
#「同人バブル」で検索すると、1990年代(=バブル経済華やかなりし頃)の逸話が次から次へと出てきます。
#どのくらいの金額の利益を上げるか、という話はまた別問題。
もちろん創作活動全体(もしくは他の手段でも)で資金に余裕を持てば赤字覚悟で作品を創ることも否定しませんが、少なくともうちにそんな資金的余裕はありません。個人サークルが大手サークルではないことは皆さんご存知でしょうし、うちが学生なことはgoogle先生にお伺いを立てれば分かるはずです。一部の学生(=ベンチャーとか投資とかやってる人)はお金をがっぽり持ってますが、うちはそんな人じゃありませんwww
さらに言えば、織姫のような「長期継続を前提とする組織」では「他人の資金の余裕に期待して活動する」ことが「システム的に許される」はずもありません。「団長が個人的に出資して活動するのが当たり前である」というカルト宗教的(ここ織姫的な文脈で強調:笑)な思想には同意しかねます。
というわけで2chでの本題。
織姫、というか私が同人ゴロですか。なるほど。同人プロデューサーって、みなさん同人ゴロ扱いされますよね。ひぐらしの矢野さんといい、蒼天の雪のLUFT(隙間)さんといい。
織姫周辺のネットワークもプロデュース機能を持ち始めているので、そういう定義で言えば私は典型的な同人ゴロですな(笑
プロデューサーのいない同人音楽世界にどんなことができるか、想像してみてください?あの有名作品も、あの有名作品も、あの有名作品も……消滅しますよ?「同人プロデューサー」自体が悪だという思想に、私は共感できません:少なくとも同人音楽世界では正常に機能している概念です。
私が係わった作品の(生産コストのみを考慮した)利益率設定は平均で40%かそこらです:この利益から売れ残りリスクの検討やイベント参加経費、収録経費まで出してます。萌えさいと。作品でも演奏モノは1収録セッションに3万~4万飛ぶのは当たり前ですし、特に織姫交響楽団作品は収録や演奏会コストがシャレになってません:「天使~」は収録とリハーサルだけで30万以上のお金が投入されてますし、第0回定期も15万くらいは飛んでるはずです。これが織姫の現実。
もし私が同人ゴロでお金儲けを目的にするなら利益率70%とか付けますよ(笑……てゆーか織姫作品では赤字回収を考えると冗談抜きにそのくらい付けたいのが本音ですがwww
私は、同人音楽文化を面白くするために何ができるか、ということをベースに動いています。そろそろ同人オケだって動かせる時代だろうし(オータムリーフ管やCLOSED/UNDERGROUNDの実例を参照)、同人音楽評論は確かに必要とされていました(DJ TECHNORCH 「読む音楽」も参照)。
同人オケは一歩早かったみたいですけど、CLOSED/UNDERGROUNDから生まれたオケ作品があの状態ということは、まだまだ同人オケの可能性は試し切れていないはずですよ?
あと、腕前/レベルのこと。
……いまの織姫のレベルでも、純粋にアマオケとして見ればそこまで下手でもないと思いますけどねぇ?もっとアレなオケを聴いたことも何度もありますし。同人関係で言うなら、「天使~」の前奏曲(第0回定期のCDにも入ってますな)のヴァイオリンソロをTAMさんと比べてみてくださいよ?……と開き直ってみます。
演奏系同人音楽がなぜいろいろな意味で厳しいかっちゅーと、同人関係の場合「打ち込み」(原理的に間違えることはない!&サウンドも簡単に整えられる)が基準だからだと思ってます。First Sounds準備会が最後まで解決できなかった問題の一つですな。
……クオリティの高い作品以外出すな、って?なるほど。
多分、そうなったコミケは都産浜松町の1フロアで開催できてしまうでしょうね。私は、「クオリティの低い作品であっても発表する場が平等に与えられることで、文化の頂点を高めることができる」という信念を持っています。宗教的な信念だとは思いますが、破防法を適用されるほどの危険なカルト宗教でもないと思いますしwww
実際、底辺が分厚い文化ジャンルは「頂点」が高いレベルに来るんですよね。たとえば日本におけるピアノやヴァイオリン:海外の音大では、多数の日本人が先生として教えているという事実があります。イタリアなら歌。
まあ、ぶっちゃけ。
織姫にケンカ売るなら、そういう同人オケを創ってみてください。これまで織姫に攻撃を仕掛けてきた方の中には、「(個性が濃厚な織姫に参加するよりも)自分で楽団を作ったほうが面白いんじゃないの?」というタイプの方もいらっしゃいました。
いまの織姫交響楽団がそういう切磋琢磨に耐えられる状態だとは私も思っていませんが、レベルの高いオケが生まれればあえて織姫がオケ活動やる必要性も無くなってくるという話もあったり。……ただ、そこがオープンに外部の依頼にも応える楽団でなければ、織姫は「(物理的に可能であれば)オープンに誰の依頼でも引き受ける」というところで存在価値が発生してしまうということは申し上げておきます。
#うちのRealfantasyもFS支援もオータムリーフ管参加もそうなんですが、基本的に自分の活動には「誰もやっていないことをやる」というベースラインがかかっています。
Posted on 2008 under 同人音楽 |
30
8月
最近流行のお話。
「同人」と「商業」の境界線は何ですか?というお話を。
まず、同人世界における代表的な「場」であるコミックマーケットの定義に従えば、一つの境界線が見えてきます:リリース元が法人(株式会社はもちろん、中間法人やNPO法人等も含む)であるか、そうでないか。後者は「同人であり」、前者は「同人ではない」。ただし「同人ではない」=「商業」でもありません。
しかし、この定義が「実態に照らすと」あまり適切ではないことも事実。商業化しているサークルは枚挙に暇がないレベルの数が出現しています。有限会社・株式会社組織も珍しくありませんし、そこらへんはまだ「コミケのルール違反」で切り捨てるとしても、NPO法人として同人活動を行っている組織もあります:福岡を中心に同人即売会を展開するProject Arbalest。ここがコミケに参加できないのは、それはそれで妙なものでしょう。
では、もう一つの代表的な「場」である同人ショップをベースに議論すると:とりあえず有限会社DEARSの作品は同人流通に乗っています。でも、これを同人と言うのはさすがに抵抗あるのよねぇ。同人的な販売方法論を採っていると言われると違和感を覚えます。
ひとつだけ確実に言えることがあります:「商業」は通常の場合法規範に逆らうことが許されません。そこで、「二次創作作品」は通常の場合「同人」として出さざるを得ない(とはいえ東方とか例外はありますが)形になります。
……逆に考えると、これから「同人」と「商業」の壁は(特に一次創作の世界で)だんだんと無くなっていくのではないかと感じています。
よく「どんな場で頒布/販売されているか」を根拠として同人・非同人の境界線を議論する話がありますが、同人ショップ以外で頒布されている同人作品なんていくらでもあります:うちの近くの「通常の古本屋」で(中古とはいえ)同人誌を扱っているところがありますし、たとえば志方さんのVAGRANCYは初期作品をWORLD Disqueにも置いているようです。Amazon.co.jpが同人ショップなのか?と言われたら、常識的には「違う」と答えざるを得ないでしょう。
イベントで頒布されなければ同人作品ではない、という議論に対しては、それこそFirst SoundsやTAMUSIC、織姫オペラシアターといった同人演奏家集団のやってる演奏会を反例として挙げることができます。
同人と商業の違いを意識するのは、少なくとも「外部から客観的に切り分けできる基準」を見つけるためにはそろそろナンセンスになっていくのでしょう。
……作品レベルの話は全く別。「同人世界」には、商業世界には今のところさほど見られないような豊穣な哲学と豊穣な精神性があります。もちろん、そういった性質は少しずつ「同人世界を好む人」をターゲットとする商業作品にも輸入されていくわけですが(例:ティンダーリアの種)、やはり「同人世界」の独特な性質であることは今も未来も変わらないでしょう。
Posted on 2008 under クラシック音楽, 音楽 |
24
7月
ドイツに留学した演奏家のプロフィールによく出てくる「ドイツ国家演奏家資格」という資格の話。
興味があったので、ちょっと調べてみました。
まず、この資格がどんなものか?というお話から。日本でこの手の国家資格というと「演奏家として活動するために必須のもの」と思われるかもしれません。しかし、少なくともドイツでは演奏家として活動するために資格は必要ありません。資格なしで演奏会を開催しても、少なくとも法的な問題にはなりません。
では何のためにこんなものがあるのか?
ドイツ政府が、国家資格として「演奏家」の認定を行うことで、クオリティのコントロールを行っているわけです。実にドイツ的な発想と言えるでしょう:ドイツは「マイスター」の国です。つまり、伝統的な教育と試験によって「一流の伝統保持者」を認定するというシステムがありとあらゆる業界に確立しています。
つまり、ドイツ(=西欧の国ということを思い出してください)がクラシック音楽のクオリティを維持するために演奏家を認定する、それがドイツ国家演奏家資格です。
日本で演奏家のクオリティ保証がどのような形で行われているか考えてみます。「実際に聴く」という手段を除けば、典型的にはコンクールの受賞歴によってクオリティが判断されることが多いでしょう。特に「第三者的な視点からクオリティを保証する」システムとしてはコンクール受賞歴以外ほとんど機能していません。では、「コンクールに受かる」というのはどういうことなのでしょうか?そして、その効力はどのくらいあるのでしょうか。
現実問題、いまの日本の音楽事務所は「国際コンクール最高位受賞」や「レコ芸特選」さえも判断基準にならない、正確にはこれらの実績では「音楽事務所としてサポートするに値する演奏家である」と判断してはもらえません。しかし、これら以上のステータスは「国際コンクール」や「レコード芸術」の文脈には存在しません:ということは、これらの文脈は判断基準として機能していないということです。
さらに言えば、コンクールのシステムには(少なくともクオリティ保証手段として使おうとしたら)問題があります。少なくともコンクールはその大半が「競争」のシステムであり、クオリティ保証を目的としたシステムではありません。。一つのコンクールにレベルの高い演奏者が何人殺到しようとも、入賞者はごくわずかです。コンクール入賞者が良い演奏者だということを(百歩譲って)認めたとしても、コンクール入賞者でなければ良い演奏者ではないとは決して言えません。
それに対して、ドイツ国家演奏家資格は良い演奏者が何人もいればその人たち全員に資格が付与されます。しかも、その資格がなければ(法的な意味で)演奏活動が展開できないというわけでもありません。
演奏家資格のシステムは、、演奏者・芸術家に対する評価システムとしてはほぼ理想的に機能しているのではないでしょうか。唯一の問題があるとすれば、ドイツに滞在せずに取得することはおそらく不可能だということですが(笑
#この話は、しばらく前に話題になった「日本政府が海外での『正しい日本食』を認定する」という話とも近いものがあります:日本政府が認定しなかった日本食は日本食ではない、ということは違いますが、日本政府が認定した日本食はすべて「正しい日本食」と言えるものだ、という意味で。
Posted on 2008 under 同人音楽, 雑多な記事 |
25
5月
2008/05/25, 東京ビッグサイトにて東方Project オンリー即売会「博麗神社例大祭」が開催されました。
本エントリは、博麗神社例大祭(以下例大祭)に対する問題点の指摘および批判、改善提案の意図を持って記述されたものです。
さて。
一部のオンラインニュースでは情報が上がっているようですが、今回の例大祭では入場者数過多を原因とし、ある規制が敷かれました。
カタログは全面的に売り切れ、カタログをまだ持っていない人は入場不可
この規制自体は、近年の同人即売会歴史上では「ハートフルコミュニケーション」(以下ハトコミ)で行われた規制とほぼ同様の内容です。ハトコミでの規制の是非も議論はできるでしょうが、本論ではハトコミの行った規制を批判する立場は取らないものとします。その理由は単純です。ハトコミではこの規制が行われるということが早い時期から発表されており、インターネット上の多数の記事をサーフィンしたところおおむねこの規制が「行われること」自体の周知は成功していたと考えられるからです。
本日、例大祭ではこの規制が、「突然」行われました。さらに、例大祭のサイトではこの規制が行われることにはむしろ反する発表が事前になされていました。
http://www.reitaisai.com/5th/faq.html#visitor
>Q. カタログは完売しますか?
>カタログが完売するかどうかは開催当日になるまで判断できません。
>十分な部数をご用意する予定ですが、ご不安な場合は事前販売(イベントや書店など)をお早めにご利用ください。
>なお、過去の博麗神社例大祭においては開催当日の午後以降に完売した事例がありますが、
>その際は入場フリー(入場時にカタログの提示が不要)としています。
また、
>Q. 当日分のカタログはどこで販売しますか?
>当日分のカタログは、博麗神社例大祭の会場である西4ホールの入口および、一般参加待機列の付近で販売を行う予定です。
>スタッフが各所にてご案内しておりますので、具体的な場所につきましてはそちらでお尋ねください。
この販売も十分な告知なく行われませんでした。具体的には、一般参加待機列周辺では一切販売がありませんでした。百歩譲って雨を理由としても、この変更によってカタログがきわめて入手困難になったことは確かです。
#なお、当日スタッフに聞いたところ、「カタログを持たずに入場列に並んで欲しい。最終的にカタログを買う場所はある」ということでした。
この規制を当日突然行ったことに対して、私は断固抗議するとともに、強い批判を加えるものです。
同人即売会(特にアマチュア開催のイベント)では参加者は「お客様」ではなく「参加者」であり、ともにイベントを創る人であるという意識を持つことが求められています。しかし、だからといってイベント主催者側がイベントの改善を怠るための免罪符として「お客様はいないのだから」という意識を持つことは許されないと考えます。
イベント主催者ができることを全てやりきった上で、それで初めて不可抗力によるトラブルが「参加者はお客様ではない」という理由で免責されると考えます。
今回のイベントについて考えてみましょう。例大祭の入場者数が3万~4万人程度の数字になるということは、事前のカタログの売れ行きから予想されていたそうです。
当日現場でのカタログ保有者の比率を見るに「当日カタログを持ってこなかった人がとんでもなく多数」いたわけではないようです。ということは、入場者数はどんなに多く見積もってもせいぜい5万人といった数字が見込めるでしょう。この数字は、「カタログの売れ行きから予想できる範囲」におおむね収まると考えます。もし入場者数が多くなるから「カタログを持っていないと入場不能」という規制をかけるのであれば、事前に告知することは十分に可能だったでしょう。
#実際には3万オーバー程度と、「カタログからの見積もり」範囲の中でもどちらかというと「下の方の値」になったようです。
我々は、通常の同人即売会に関しては「カタログは会場でも購入可能」という意識を持っています。たとえ例大祭でも「当日カタログを販売する」という告知があった以上この意識を持つことは許されると考えますし、マイナージャンルではそもそもカタログが書店委託されない(=当日購入限定)ことさえ珍しくありあせん。
このような事情を考えると、「今回の入場規制」は決して不可抗力の領域には入らない、少なくとも十分主催者側にとって(=ビッグサイトの消防法限界を知っていると考えられる)は十分予想できる内容のものだったでしょう。
という概略を書いたところで、本日の例大祭の流れを最初から追いかけてみます。
9:00ごろ、私はビッグサイト前の広場に到着しました。
この時点で、すでに「列の最後尾が2つ存在している」状況でした。
1つは、ビッグサイト正面から伸びる2本の列の左側で、最後尾は国際展示場駅にごく迫るところ(駅を出て右側のコンビニすぐ裏手)まで迫っていました。しかし、「通常の同人即売会の待機列」と比べると明らかに密度が薄く、列圧縮がされていない状態だったことから、私は「この列が本当に最後尾なのか?」ということに疑いを持ちました。
普通この手の大規模即売会では列の最後尾を整理するためにスタッフが1人以上ついているものです:コミケにしてもコミックシティにしても。そこで、「確実にスタッフである人間」を探し出したところ、「2本目の列」を指摘されました。
入場最後尾が2本の列に分かれていて、おそらく2本の列は「同じタイミングで合流して入場できるようにコントロールする」ことを意図して形成された列ではない。この時点で、例大祭スタッフの能力に深い疑念を抱きました。
#コミケの場合、国際展示場駅前広場では「複数の場所に列を作り、同じ時間帯の列を2本以上同時に1つの入り口から入場させる」というコントロールをやっているようです。
そして、カタログの購入場所を聞いたところ、先ほども書いたように「とにかく列に並んで先に進んで欲しい」という情報がありました。
しかし、他の参加者は別の情報を受け取っていたようです:「会議棟にて購入可能」とか。
#実際、今日は会議棟なんか借りていたんでしょうかね?
10時ごろから列の移動が始まりました。何度も列が「左右に」移動され、一度は「左に移動した列がまた即右側に移動させられる」というシーンまで目撃しました。あんなことをやっては、列が崩壊するのは目に見えています。
10時40分ごろ入場。……あれ、カタログチェックないぞ?
カタログを持たずに、全く問題なく入場ができました。チェックさえなかったため、「カタログ売り切れでフリー入場」か「そもそもカタログ不要」(コミケ等一部の巨大規模即売会では見られる対応です)のどちらかと考えました。
その後、11時20分ごろにいったん出場。隣接会場で開催されていた「アンジェ色葉」を見に行きました。その際、再入場が可能かどうかスタッフに問い合わせたところ、「そこ(=出口)を左に曲がってくれれば入れます」と言われたので、安心して外に出たという構図がありました。
色葉のほうはなんてこともない女性(乙女)向けマターリオンリー。こっちのほうが肌に合ってしまったあかみさんは腐り果ててますorz
#というのは置いておいて。
アンジェ色葉から戻ろうとしたところ、「カタログがないと入れません」規制が発動。しかも、カタログ売り場は存在せず(完売扱いなのだから当たり前です)。
……というのが、カタログ規制発動までの「私が体験した例大祭」でした。
スタッフの連携もほぼ最悪と言えるものだったでしょう。
さらに、その後何が起きたかをいろいろな人の証言から拾ってみました。
まず、カタログ規制発動の理由は「消防法で定められている入場制限数を超えてしまった」という話です。
なら、カタログを持っている人も等しく入場制限の対象にすべきではないでしょうか?(実際、制限の対象になったという話もありますが、私が見た風景ではカタログ保有者にまで入場制限かけていたのはほんの短時間です)
12時台にはとうとう倒れた人まで出たようです。こちらはその後ほどなくして回復されたようですが……
14時半には、入場制限が解除されていたようです。
さて。改善策の提案、というか今後社務所が考えるべきことの提示を。
まずは、会場規模の拡大が先決でしょう。
「ビッグサイト全館」という会場であれば、1日20万人程度&1日1万サークルまでは耐えきることは毎年のコミケで完璧に証明されています。これはまあ極論とはいえ、東1~3程度までの規模拡大は考えても良いのではないでしょうか?
東方は「売れる」ということは広く知られており、サークル参加費を少々値上げしても大きな問題にはなりにくいと考えます:そもそも今回「2スペース」という設定に対するサークル参加費が5桁に到達したことで「例大祭はサークル参加費が高い」という印象がついていますが、コミケ仕様なら2SPは15,000円とかそういう数字。別にコミケと比べてそこまで高いわけでもないですし、もう少しサークル参加費の値上げを考えても良いでしょう。
さらに、カタログ売り切れ後の対応。「入場制限」は、少なくとも「告知なし」では最悪の対応と言わざるを得ません。
では事前告知さえしていれば良いのかと言われたら、実際「まだマシ」と答えます。事前告知があれば、こちらだってカタログを必死に事前に手に入れようとするわけで、というかむしろ「やばい」と気付けば通販ぽちっとなです。
そして、社務所の皆様へは今回発生した事態への総括をお願いしたいところです。トラブル対処の第一歩はきちんとした統括であり、それさえできなければトラブル解決などとても無理です。少なくとも結果責任として今回の例大祭はトラブルであり、少なくとも社務所は責任を負うべき事態を引き起こしました。
もちろんのこと、総括には次回への改善策提案(それはきちんと機能するものでなければなりません)を明確に含みます。
少なくとも、この程度の対応さえ取られずに、次回の例大祭が開催されるということが決まってしまえば、こちらは「例大祭開催中止を願う署名運動」なども考えざるを得ません。
次回の例大祭が無事開催できることを心待ちにさせていただきます。
Posted on 2008 under 同人音楽 |
13
5月
ここしばらく同人ブログ界隈で盛り上がっている話題から。
日日俺酔狂 ニコニコ市場における同人作品の商業化
http://sui37.blog51.fc2.com/blog-entry-446.html
2008-05-11 – uboahhの日記
http://d.hatena.ne.jp/uboahh/20080511
このへんを読んでみて。
「同人」文化を経済的な観点から見た場合、いくつかの特徴を抽出することができます。たとえば、著作権に関する独特なスタンス(一次著作権者の黙認の上に成り立つ巨大な市場)、外部とはある程度隔離されたマーケット(同人ショップの存在)。
そして、今回はニコニコ市場~Yahoo!経由で「ニコニコ動画界隈」と「同人マーケット」が直結したことで、問題が表面化したように見えます。これ自体は別個の問題として議論可能ですが(私自身は肯定的:別に同人作品を表に引きずり出したっていーんじゃないの?)、同人に関する議論をまた別の観点で眺めてみましょう。
「同人とは何か」という議論を見てみると、驚くほど多くの議論が「作品流通の形態」にばかり着目し、作品の内容には全く触れていないことが多いことに気づきます。確かに、作品流通形態に着目する議論はきわめて簡単かつ単純明快に作れるので、わかりやすいのは事実です。しかし、流通形態を元にした議論は「新しい流通形態が出現したときにそれをどう考えるか?」という問題を常にはらみます。具体的なケースとしてはAmazon.co.jpのe託サービス、Yahoo!経由での同人作品@ニコニコ市場、同人音楽界隈では「同人音楽の森」やCD Babyといった可能性が思い当たります。
さらに言えば、たとえばコミケでPerfumeの「ポリリズム」がCD頒布されたとして(権利問題とかとは全く別の話:オフィシャルでやったと考えてみてください)、「サウンド自体」のレベルで違和感を感じませんか?流通形態だけに目を向けて「同人とは何か」という議論を行うのは、作品に目を向けないという意味で片手落ちの議論と考えています。
同人文化の本質を考えるときに、作品の流通形態だけではなく作品それ自体に目を向けた議論は、間違いなく必要となるでしょう。
私にとって耳慣れた&詳しいジャンルは同人音楽界隈なので、同人音楽を舞台に議論を進めます:オタク文化論で、Sound Horizon, VAGRANCY(花帰葬がらみは別として)、Asriel、mimeiを統一的に語れるような議論は未だ見たことがありません。でも、こういった作者/サークルの作品は同人音楽の至宝です。
同人文化を「作品を通して」議論する、という観点を忘れないでいただきたいものです。