Posted on 2008 under クラシック音楽, 音楽 |
24
7月
ドイツに留学した演奏家のプロフィールによく出てくる「ドイツ国家演奏家資格」という資格の話。
興味があったので、ちょっと調べてみました。
まず、この資格がどんなものか?というお話から。日本でこの手の国家資格というと「演奏家として活動するために必須のもの」と思われるかもしれません。しかし、少なくともドイツでは演奏家として活動するために資格は必要ありません。資格なしで演奏会を開催しても、少なくとも法的な問題にはなりません。
では何のためにこんなものがあるのか?
ドイツ政府が、国家資格として「演奏家」の認定を行うことで、クオリティのコントロールを行っているわけです。実にドイツ的な発想と言えるでしょう:ドイツは「マイスター」の国です。つまり、伝統的な教育と試験によって「一流の伝統保持者」を認定するというシステムがありとあらゆる業界に確立しています。
つまり、ドイツ(=西欧の国ということを思い出してください)がクラシック音楽のクオリティを維持するために演奏家を認定する、それがドイツ国家演奏家資格です。
日本で演奏家のクオリティ保証がどのような形で行われているか考えてみます。「実際に聴く」という手段を除けば、典型的にはコンクールの受賞歴によってクオリティが判断されることが多いでしょう。特に「第三者的な視点からクオリティを保証する」システムとしてはコンクール受賞歴以外ほとんど機能していません。では、「コンクールに受かる」というのはどういうことなのでしょうか?そして、その効力はどのくらいあるのでしょうか。
現実問題、いまの日本の音楽事務所は「国際コンクール最高位受賞」や「レコ芸特選」さえも判断基準にならない、正確にはこれらの実績では「音楽事務所としてサポートするに値する演奏家である」と判断してはもらえません。しかし、これら以上のステータスは「国際コンクール」や「レコード芸術」の文脈には存在しません:ということは、これらの文脈は判断基準として機能していないということです。
さらに言えば、コンクールのシステムには(少なくともクオリティ保証手段として使おうとしたら)問題があります。少なくともコンクールはその大半が「競争」のシステムであり、クオリティ保証を目的としたシステムではありません。。一つのコンクールにレベルの高い演奏者が何人殺到しようとも、入賞者はごくわずかです。コンクール入賞者が良い演奏者だということを(百歩譲って)認めたとしても、コンクール入賞者でなければ良い演奏者ではないとは決して言えません。
それに対して、ドイツ国家演奏家資格は良い演奏者が何人もいればその人たち全員に資格が付与されます。しかも、その資格がなければ(法的な意味で)演奏活動が展開できないというわけでもありません。
演奏家資格のシステムは、、演奏者・芸術家に対する評価システムとしてはほぼ理想的に機能しているのではないでしょうか。唯一の問題があるとすれば、ドイツに滞在せずに取得することはおそらく不可能だということですが(笑
#この話は、しばらく前に話題になった「日本政府が海外での『正しい日本食』を認定する」という話とも近いものがあります:日本政府が認定しなかった日本食は日本食ではない、ということは違いますが、日本政府が認定した日本食はすべて「正しい日本食」と言えるものだ、という意味で。
Posted on 2007 under クラシック音楽, 同人音楽, 雑多な記事, 音楽 |
31
10月
某所で志方作品の編曲が問題になっていたので、ブログにエントリしてみます。
権利上の話は全く別として、ここでは「編曲作品を作る」という話を。
http://www.ne.jp/asahi/piano/natsui/C_Godowsky.htm#MEMO
あの夏井さんのサイトに残された、「ショパン・エチュード、およびゴドフスキーの編曲について」という文章。
ショパンの練習曲は、ピアノ曲の至宝です。あらゆるピアニストが全曲練習する曲というのはそれほど多くはないのですが、ショパンの練習曲で1曲でも(練習だけとしても)弾いたことがないというピアニストが存在しないことは断言できます。それほど重要な作品です。
こんな重要な(そして、名実共にその重要さに匹敵するだけの名作といえる)作品をターゲットに、20世紀初頭のピアニスト・ゴドフスキーは大量のアレンジ行為を決行しました。
そして、できあがった作品は「ピアノ編曲の至宝」とみなされる作品となりました。
同人アレンジの世界でも、志方作品は不可触領域の一歩手前なんだと思います。
だからこそ、もし志方アレンジを決行して名曲を作ることができれば、その所行は偉大なものになるのでしょう。
志方さんといつも創作を共にしていると考えられるイモトトモコさんでさえ、「志方作品の編曲」には失敗しています。この事実自体が、「名曲をターゲットにした編曲」の難しさを物語っています。
Posted on 2007 under クラシック音楽, 同人音楽 |
19
9月
本質的に見て、同人音楽って何なんでしょう?
考えれば考えるほどどつぼにハマっていきます。
少なくとも、流通形態から何かを同人音楽であると見ることはできます。
で、クラシック音楽(というよりは現代音楽)の世界で全く同じことが起きたのが「ヴァンデルヴァイザー楽派」の話。
「ヴァンデルヴァイザー出版社で取り扱われた作品」が「楽派」として出現したものがヴァンデルヴァイザー楽派であると言うことができるでしょう。で、これらの作品は共通した作風として、「音楽に使う素材を限定する特性」があります。その点において、「楽派」と定義することが不適切ではありません。
しかし、流通形態だけで作品をカテゴライズするとこういう問題が起きてしまいます。で、同人音楽でも全く同じ問題が起きているように見えます。
たとえば、志方あきこさん。同人音楽サークルVAGRANCYでも活動しており、同時にAVEX(HATS)所属のアーティストとしても活動しています。で、同人音楽の定義を「流通形態」のみで捉えてしまうと全く同じ曲(花帰葬関連)が「同人音楽」にも「その他の何か(=商業音楽)」にも分類されてしまいます。
#同人音楽論に志方さんを持ち出すと議論が複雑化しやすいので普段は避けていますが、この程度なら(逆の構造にはなりますが)霜月はるかさんを舞台にしても起こる事象です。
では……本来の楽曲分類手法として、音で分類するとどうなるか。
どんな音が「同人音楽の音」なんでしょうか?
Posted on 2007 under クラシック音楽, 同人音楽, 音楽 |
19
9月
議論がまとまるまで書かないとなると何も書けなくなることが分かったので、少しずつ議論を進めてしまいます。
今回は、同人音楽と新ロマン主義音楽の類似性について。
ご承知の通り、同人音楽の大多数は調性音楽です。それも、メロディーの重要性が強調される種類の調性音楽です。
そして、表現されるものは音楽のみではなく、その背後には何らかの物語性が語られることが多いです。
これらは、ロマン主義音楽の特徴をある意味では満たしています。
同人音楽は21世紀の日本文化(=ポップミュージックを知る文化)に新ロマン主義的な発想が持ち込まれた結果として生まれた一つの形態と言えるのでしょうか。
#そういう意味では、実は織姫オペラシアターがやろうとしていることも新ロマン主義に立脚しているわけで、同人音楽のメインストリームから外れていないことになります。
現実には、適度な作者主義と適度な大衆性のミックスが、同人音楽として花開いているのかもしれません。
芸術文化としての同人音楽を問いかけるには、過度な作者主義が渦巻くような作品もあって良いでしょうし(実際、過度な作者主義が炸裂した同人音楽作品も皆無ではありません)、作者主義と大衆性のバランスが上手く取れていった状態を維持しつつ、良い作品が生まれていくことを望みます。
Posted on 2007 under クラシック音楽, 音楽 |
31
8月
最近、織姫関連の作曲や沢水遥奈さんの影響で(?)歌曲を聴こうという気分になってます。
せっかくの歌曲なので、ロマン派の作品でメロディーが美しい曲をいろいろ探してます。
メジャーどころは適当にNMLで聴いてみるとして、知名度のやや低い作品では何かお勧めありませんでしょうか?