北島/あかみのプライベートなブログです。

いま、高橋コレクション@日比谷 でやってる「カオス・ラウンジ」に行ってきました。ちょっとした感想を。その前に、「カオスラウンジ宣言2010 ニコニコver」にリンクを貼っておきますね。

感想。一言で言うと、「革新の殻をかぶった超保守」。

確かに、オタク文化の文脈から見ればすごく「新しい」かもしれません。「非実在青こなた」は依然としてこなたであり、記号を可視化することに成功していました。
しかし、オタク文化で「記号」のデータベース性の文脈なんて、東浩紀が動ポモ1からさんざん言い放っていたセリフ。いまごろわざわざ「現代性」を帯びて持ち出されるような話では決してありません。だって新しくないんだもん。保守だもん。

使われていたメディアも、決して新しいものではありません。ライブペインティングは確かに「現代アート」らしい手段ではありますが、「現代」アートとしてはすでに食傷感すらある古典的な道具立て。さらには村上隆を持ち出したこと、そして琴葉とこの「メンヘラちゃん」が他のアート作品と同列に並べられていたこと自体が、カオス・ラウンジの「保守性」を逆照射しています。
村上隆は言わずと知れた「アーティスト」。彼がやらかしたことは、「オタク文化」を構成するいくつかの記号を「オークションの文脈で評価される」ラップでくるんで世に出したことです。確かに「新たな評価の文脈を創り出す」行為は社会に対するアート行為ではありますが、問題はその前提条件を「超保守」である「オークション」に置いたこと。結局彼は保守的な価値観を是とした上で、そこで作品を構成しているアーティストであり、保守側の立場の人間にすぎません。
琴葉とこの「メンヘラちゃん」は偉大な作品です。それは間違いないのですが、メディアはマンガ。作品は古典的なロマンティシズム全開の作品。これを保守といわずに何と言う?

革新の殻をかぶっていたからこそ、カオス・ラウンジが「保守」であり続けたことは残念です。ましてや、カオス・ラウンジのキュレーターである黒瀬陽平氏の芸大不合格者展をめぐる言説と比較すると、「本質的に保守であるカオス・ラウンジ」が出現してしまったことには残念な思いが沸き上がります。

おそらく、このイベントは革新であろうとしたのでしょう。しかし、出発点が保守であったことが不幸を生みました。
オタク文化を前提としつつ、革新の殻をかぶった革新を作り上げることは不可能とは思いません。

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ブログの作者

北島(非同人方面)/あかみ(同人方面) です。いろいろやってます。