少なくとも今年中の即売会イベントへの参加予定はありません。来年以降についても現時点で完全に未定です。
更新。Wordpress3の日本語版が無事公開されましたので、予定通りブログ(やその他サイト群まとめて)の休止&移行に取り組みます。
ざっくりと7月~8月を休止&移行期間にあて、9月頭にサイトのリニューアルを含むブログ再開を目指します。
–以下編集前–
Wordpress 3への移行作業や、アカウントの集約作業を行う余裕ということにさせてください。
もちろんそれ以外の意味もありますが……。
さて、先日のエントリで「地方の同人活動のスタイルは、それぞれの地方に最適化されているかもしれない」という話をぶっ放しました。
地方のイベントは、少なくともその地方の事情に部分最適化されている可能性があります。そして、「部分最適」である以上必ずしも全体最適ではない、局所的な最適解に落ちている可能性は否定できません。
「グローバル化に追随するには全体最適に持っていかなければならない」といった話には耳にタコができているわけですが、とりあえず「全体最適に持っていく必要がないこと」は簡単に証明できます。
全体最適な状態は、局所的に見た場合常に「部分最適と等しいか、部分最適よりも劣った状態」にあります。で、地方の同人即売会の場合、ステークホルダーの大多数は現地の人達、それも東京その他「全体最適と直結する空間」にアクセスできる環境にない人であり、「全体最適を全体として享受できる」立場にはいません。となると、地方の同人即売会の場合、大多数のステークホルダーの受けるメリットを最適化するためには、全体最適を目指すことはは部分最適を目指すのと同等か、もしくはそれより劣った結果をもたらすことになります。
Project Arbalestがやってきたことは、「地方イベントとして二番手を最適化する」ミッションでした。地方の一番手を目指すことは、彼らは決して目的に加えていません。言い換えれば、一番手になれたとしてもそれは評価の対象外。たとえ巨大イベントを実現できたとしても、その評価は単に「3000SPのイベントを開催し、成功させた」というパラメータを評価関数に突っ込んだ結果にすぎず、それが一番手であるか二番手であるかは関係ありません。
#九州なら3000SPを実現すれば一番手ですが。
で、いろいろな戦略があり得るわけですが、Project Arbalestは「即売会そのものをゼロベースで考え直す」戦略を取ったと理解できます。幸い、良いか悪いかに関わらず即売会の実例は山ほどあります。実例を構成要素レベルにまで切り刻んで、どのように組み合わせれば(もしくは外部から新しいものを持ち込めば)良い結果を得られるか。そして、どの結果がベストか。
で、イベントをそれぞれ局所最適に落とし込むことは、イベントの個性を強化することにも繋がっていきます。東京の大規模オールジャンル、中規模オンリーイベント、地方のオールジャンル、地方の聖地開催系オンリーイベント、どれも個性があればそれぞれ面白そうじゃないですか。
いま、高橋コレクション@日比谷 でやってる「カオス・ラウンジ」に行ってきました。ちょっとした感想を。その前に、「カオスラウンジ宣言2010 ニコニコver」にリンクを貼っておきますね。
感想。一言で言うと、「革新の殻をかぶった超保守」。
確かに、オタク文化の文脈から見ればすごく「新しい」かもしれません。「非実在青こなた」は依然としてこなたであり、記号を可視化することに成功していました。
しかし、オタク文化で「記号」のデータベース性の文脈なんて、東浩紀が動ポモ1からさんざん言い放っていたセリフ。いまごろわざわざ「現代性」を帯びて持ち出されるような話では決してありません。だって新しくないんだもん。保守だもん。
使われていたメディアも、決して新しいものではありません。ライブペインティングは確かに「現代アート」らしい手段ではありますが、「現代」アートとしてはすでに食傷感すらある古典的な道具立て。さらには村上隆を持ち出したこと、そして琴葉とこの「メンヘラちゃん」が他のアート作品と同列に並べられていたこと自体が、カオス・ラウンジの「保守性」を逆照射しています。
村上隆は言わずと知れた「アーティスト」。彼がやらかしたことは、「オタク文化」を構成するいくつかの記号を「オークションの文脈で評価される」ラップでくるんで世に出したことです。確かに「新たな評価の文脈を創り出す」行為は社会に対するアート行為ではありますが、問題はその前提条件を「超保守」である「オークション」に置いたこと。結局彼は保守的な価値観を是とした上で、そこで作品を構成しているアーティストであり、保守側の立場の人間にすぎません。
琴葉とこの「メンヘラちゃん」は偉大な作品です。それは間違いないのですが、メディアはマンガ。作品は古典的なロマンティシズム全開の作品。これを保守といわずに何と言う?
革新の殻をかぶっていたからこそ、カオス・ラウンジが「保守」であり続けたことは残念です。ましてや、カオス・ラウンジのキュレーターである黒瀬陽平氏の芸大不合格者展をめぐる言説と比較すると、「本質的に保守であるカオス・ラウンジ」が出現してしまったことには残念な思いが沸き上がります。
おそらく、このイベントは革新であろうとしたのでしょう。しかし、出発点が保守であったことが不幸を生みました。
オタク文化を前提としつつ、革新の殻をかぶった革新を作り上げることは不可能とは思いません。
さて。こういうエントリを出さねばならなくなったことがそもそも悔しいですが、これ以上企画運営を続けることもできないので。
このたび、歌曲集企画の続行断念にあわせて、コラボレーション系の同人プロジェクトから引退を発表いたします。
自分にとって今可能な限りの最高級の材料を集めて企画を運営しようにも、企画1本primenotesとの折衝ができずに回すことができない自分が悔しいですが、あの条件で企画を回せないのであれば今後ありとあらゆる企画を回すことができません。
EMBRYO、Maple Leafは正しかった。primenotesとEMBRYO/Maple Leaf連合軍で私を取り合ったという歴史がありました。「私と組めば霜月はるかと作品を創らせてあげるよ」というほうが正しかったことは、結果を見れば自明です。
その結果、同人世界は商業化が進み、ニコニコ動画がさらにその傾向を推し進め、私はそこに付いていくことができませんでした。
個人ではまだやり残したこともあります。こんな急に引退を強いられるなど、完全に想定外でした。でも、もうコラボレーションはできません。
個人でやり残した作品がいくつかあるので、それは何らかの形で世に問いたいと思います。ただ、もう定常リリースは行いません。